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アリアは頬を伝う血と汗を一緒に手の甲で拭うと、深い息をついた。
心拍数の 上がった体を落ち着かせようと、深呼吸を繰り返し、強く瞳を閉じるとすぐに開く。
(……ハーバイルの援軍は……)
戦場と化した美しい祖国は荒々しい音で溢れている、期待した援軍は現れる様子をみせない。 攻められている情報は早馬ですでに渡っているはずだ、情報が遅れているとしても遅すぎる。
ようは、意図的に援助の要請を無視しているのだ。
母国の姫―ティアイエルを人質同然とし嫁がせ、帝国ハーバイルに従う事を条件とし、小国フィレンツィアは帝国の庇護に入った―はずだった。
(……っくそ!)
敵であるアメジスタの軍事力は小国のお飾りな軍隊とは比べ物にならない。 徐々に城内に攻められていく。 あの姫はどうしているのだろうか。 アリアより二つも歳が下でありながら、気丈にも笑って敵国へと嫁いでいった可憐な姫は。
アリアは今でも忘れられない、国を守れると安堵した表情の奥に異国への不安が混じっていた瞳を。
(ティアイエル様っ!)
剣についた汚れをふき取ると、今一度深呼吸をする。
考え事をしている暇はない、今いる物陰でさえいつ切り裂かれるかわからない。
剣を握りなおし、気持ちを集中させる。
「!!」
空気を切り裂いて振りかざされた剣から、機敏に剣を打ち返すが、力負けをし背中を壁に打ち付けた。 ぴりぴりとした痛みを感じながら、アリアはすぐに相手に向きかえる。
蒼い軽装の鎧を纏った男だ。 一つにまとめられた漆黒の髪の下にはアメジスタ人特有の凶暴な紫煙の瞳がギラギラ光っている。
「女、か。少しは楽しませてくれるんだろうな!」
「ふざけるなっ!」
壁を蹴るとアリアはすばやく男に懐に飛び込む。男の獲物は長剣だ、間合いは広いがその分接近戦は不得意なはずだ。
アリア自身隠し持っていた短刀の方を握ると、心臓に狙いを定める。
「甘いな」
「っ」
突然の衝撃にアリアの体は横へとバランスが崩れる。 それが男の放った蹴りであると理解する前に、アリアの体は地面へと叩きつけられた。
衝撃で離れた短剣を掴み取ろうとするが、それに気づいた男が短剣を遠くへと蹴った。
「あっけないな」
嘲笑と共にアリアの首筋に剣が添えられる。アリアの腹の横に膝を着くと、その頬に手を這わせる。
「さて、どうしようか?」
「私を、バカにするな……っ!」
仕込みナイフは一つなんかではない、円を描くように放たれたそれは確かに肉を絶つ感触がした。
だがそれはずいぶんと浅いものだ。
「ほお」
油断はしていたが鍛え抜かれた反射神経の前では男の頬に一文字刻むだけにしかならない。 手を捻られ苦痛に喘ぐとぽろりと剣が地面に落ちた。 苦悶に歪むアリアの表情を男はさも楽しそうに眺めている。
いとも簡単にアリアの両手を頭の上でまとめると、完全に組み敷く。
その屈辱にアリアが足をばたつかせながら抵抗すると男は鼻で笑う。
「無駄だな」
「離せ!」
「そう言われて離す奴がいるのか?ん?」
勝者の瞳をしてアリアの組み敷く男が憎くてたまらない。 屈辱と憎しみで頭がいっぱいになる。
(今すぐ、この場でこいつを切り裂いてやりたい!)
「司令!」
「なんだ」
降って沸いた声にアリアは驚いて声のした方を向く。 アメジスタ軍の標準装備をした青年はいまだ血が滴る剣を無造作に持ちながら、駆け足でアリアを組み敷いている男の方へと向かっている。
アリアを少し驚きの瞳で見ながら、少し迷ったように男を見る。
「良い、なんだ」
「王族たちは広間に居ます。 抵抗はしていません」
「地下牢に放り込んでおけ。 丁重にな、国からの指示がない限り動かん」
「他の者にいかがいたしましょう?」
「自分たちの王の首元に剣の切っ先が当たった状態で何もできんさ。 それに俺たちを倒したとしてもすぐに他……今度は軍団がくるだろうさ」
男の言葉に、部下である男は困ったように眉を寄せる。
「縛って広間に転がしておけ。 見張りをつける」
「はい」
ようやく納得のいく答えを得られるとあからさまに安堵した様子を見せる。
と、男が片手でアリアの手をまとめると、もう片手でポケットから紐を取り出す。 嫌な予感が頭を過ぎる、と想像通りアリアの手を縛り始めた。
「やめろ!」
「手が使えると、こちらが困る。 まだ武器を持っているだろう?」
きつく紐を縛られるとアリアは力いっぱい男に体当たりをする。精一杯の強がりで男をにらみつける。 そんな瞳をモノともしないで、男は一歩一歩ゆっくりを近づいてくる。
「それ以上近づかないで!!」
「聞けないな」
繋がれた手を引っ張られると、バランスを崩した体が膝から落ちる。
男の目の前で地面を膝につけ、悔しさに目の前が揺れる。
「もう観念したらどうだ?」
「フォーエル様!」
またもや割って入った声は、さきほどの部下よりも歳の取った男のものだった。
フォーエルと呼ばれた男は、なんだ、と無機質に返す。
「……その女性は?」
「フィレンツィアの女さ。俺に一太刀浴びせた」
面白そうにそう事実を告げ、斬られた頬を見せる。だが中年の男はその傷を見て顔を強張らせる。かみ締めるように告げられた事実を復唱する。
「ならば地下牢へ、危険です」
「逃げ出す方が危険だろう。 手元に置いておく」
「なっ!」
その言葉に驚いたのはアリアも同じだった。信じられないような瞳で男を見上げる。
これならばまだ殺された方がましだと思う。
「女として戦場に出て負けた以上、どうなるかわかっているだろう?」
男の言い分に、憎しみと嫌悪感がアリアの中で募る。
恐怖心は跡形もなく消え、アリアは噛み付きそうな瞳で睨み付ける。
「……くれぐれも、警戒なさってください」
「相変わらず心配性だな……そうするさ」
呆れたような声に飄々と答える男への憎しみで眩暈がする。
司令、と呼ばれていた。この男の指揮の元、祖国の平和が奪われたのだ。
「……してやる」
「ん?」
「絶対にお前を殺してやる!」
「出来るもの、ならな」
そう言うと男はアリアの縛られた手をひね上げる。折れるかと思うほどの激痛にアリアは必死に耐える。
「せいぜい楽しみにしておくよ」
息も絶え絶えなアリアを抱え上げると、男はそう言った。
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