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未空が御庄家に居候と言う形でお世話になってから、幾日か経った。 それでも未だに戸惑いや疑問を持っているのだが、それらを聞くタイミングをすべて失ってしまっており、今更口に出すタイミングが分からずにいた。
匠と海希の両親などにも会った事がなく、匠、海希、笹良、そして未空だけがこの家にいる状態だ。
柔らかなベッドで起きる度に、未空は父親と母親の事を思い出す。 あれ以来逢っていない。 今更どんな顔をして逢えば分からないのもあったし、少なくとも未空は今の生活を楽しんでいる。 そして楽しんでいる事に対する罪悪感も感じている。
今まで生まれ育った家とはまったく違う、違和感は拭えない。 どうして自分がここにいるのか、その疑問に応える声もない。
「……未空ー?」
「えっ」
自分の考えに浸っていた頭に麻美の声が飛び込んでくる、と、とたんに意識が現実へと戻る。
いつもどおりにお昼のお弁当を一緒に食べている時に意識を飛ばしたようだ。 誤魔化すように笑うと、残りのお弁当に箸をつける。
「ちゃんと食べないと、また倒れるよ?」
「はい。 ありがとうございます」
最近は笹良と交替でお弁当を作るようになった。 腕前や、レパートリーは笹良の方が格段上である。
「麻美さんは、いつもパンですね」
「ん、購買で手っ取り早く買っちゃう。 朝、作ってる時間ないしさー」
そう言って麻美は焼きそばパンをほお張る。 おにぎりなど別のものも売っているらしいのだが、麻美は頑なにパンを買い続けている。
「ねえ、未空。 素朴な疑問なんだけど、さ」
「はい?」
麻美にしては珍しく、歯切れが悪い。 周囲を軽く見渡すと、顔をずい、と未空の方へ乗り出す。
「……御庄先生と知り合い?」
声を抑えて、少し掠れたように聞こえる。 ”御庄先生”が、海希の事を指すのだと、間を置いて気づく。
海希の未空への対応を見ていて、麻美も疑問に思っていたのかもしれない。 けれどここで素直に、同じ家に住んでいる、と言うのは憚られた。 麻美の事を信頼しているが、場所が教室である上に、この事実が自分だけでなく海希にも関係するからだ。
言葉を躊躇っていると、麻美は未空が質問に驚いている、ととったのか、苦笑して言い訳をする。
「なんか仲いいように見えたし。 ほら、御庄笹良ちゃんとかとも知り合いだったから」
「はい。 保健室には、最初、よく用があったので……」
「そうだね。 初日から貧血で倒れているからねー」
インパクト大だよね、と麻美が言葉を続ける。 嘘ではないが、後ろめたさがある。 麻美を見てられなくなり、未空は俯くとお弁当に集中する振りをした。
「まあ、私もそのおかげで保健室にいけるしー」
「……そう、ですね」
無邪気に笑う麻美の言葉を、複雑な気持ちで受け取る。
麻美が海希の事を好きなのかと思い、一度だけ聞いた事がある。
ただのファンだよー、といつも通りの明るい笑顔で返され、少しだけ安堵した。
安堵する自分が分からない、そしてそれでもなおこういった話題になると、胸中がざわめくのだ。
「あなたが長谷川未空さん?」
急に名を呼ばれ振り向くと、見知らぬ女の子が立っていた。 同じクラスの子ではない。 麻美も訝しげに見つめている。 そうです、と肯定すると少女は笑みを深めた。
「よかった。 ちょっと話があるんだけど、一緒に来てくれるかな?」
「え……」
そう言うと少女が未空の手を掴む。 そのまま引っ張られ、思わず未空は立ち上がる。
どうしようかと困ったように麻美を見ると、不快感を表情で表した麻美が少女に話しかける。
「ちょっと、まだ食べてる最中なんだけど?」
「私は、長谷川さんに用事があるの」
「初対面の人間がいきなり何言ってるのよ。 困ってるでしょ、離しなよ」
麻美がそう言うと少女は未空の手を離し、そのまま背を向けるとクラスから出て行ってしまった。
その背中を見ながら、未空は掴まれていた手を撫でる。 結構強い力だったのか、うっすらと痕が残っている。
「なんだったんだろ?」
「……さあ?」
少女の剣幕から、未空に対して良い感情でない事は明白だ。 けれど逆にそういった態度でこられる理由が分からない。
言葉に出せない不安に未空は自分の手を握った。
***
背もたれにより掛かると、きい、と耳障りな音を出して椅子が軋む。 そのまま首を倒して、窓を見る。
青い空が徐々に赤色に侵食されていく。 青空でも夕焼けでもない今の空の色を海希は気に入っている。
そろそろ帰るか、と思った所で海希は窓の外に見慣れた背中を見つけた。
椅子から起き上がると窓を開けて、身を乗り出す。
「おい、未空」
「え?」
どこから呼ばれたのか分からなかったのか、呼び止められた本人はその場に立ち竦みきょろきょろと辺りを見渡している。 小動物がちまちまと動いているみたいだ、と意地悪な気分になり海希は少しだけ黙って未空の行動を見ていた。 しかしいつまで経ってもこちらを振り向こうとしないので、しょうがなく、保健室だ、と声をかけてやる。 場所を言われ、大慌てで未空がこちらを向く。
「俺も帰る所だ、ちょっと待ってろ」
「え……でも……」
「どうせ帰る所は一緒だろ?」
車回してくるからちょっと待ってろ、と言うと簡単に荷物をまとめる。 鞄の中から車のキーを取り出すと、駐車場へと急ぐ。
校門まで車を出すと、未空の姿が見当たらない。 先に帰ったのか、と思ったがどうやら隅っこの影の方にいたらしく、何かから逃げるように車の助手席に乗ってきた。
「なにしてるんだ?」
「え、だって……誰かに見られたら……ダメじゃないですか?」
「誰も残ってないだろ」
柔らかな見た目と違って、警戒心は結構強いらしい。 家まで普通に行けば10分位だが、ちょうどラッシュに捕まってしまい、倍の時間はかかりそうだ。 中々すすまない行列を前にはあ、とため息をつき隣を見る。
そうそう喋る事もないので、車内にはいつか笹良が好きだと言ったアーティストの曲が掛かっているだけだ。 それにしても静かだな、と思うと、未空は目をつぶり小さく寝息を立てていた。
緩やかな振動の中、睡魔に負けてしまったのだろう。 何時もどこか困ったような表情をしている事の多い少女の寝顔に、海希は内心苦笑する。
しょうがない、と胸中で呟くと車を車庫にいれ、運転席から出ると、助手席の扉をあける。 起こさない様に優しく未空を横抱きにし、少々乱暴に扉を閉めてキーを閉める。
「……軽ィな」
細いとは思っていたが、まるで人を抱えているとは思えない重さだ。
と、背後に強い視線を感じる。 訝しげに振り向きまわりを見渡してみるが、住宅街は静かに沈黙している。
(気のせいか……)
未空を腕に抱いている為に少々扉と格闘して、なんとか家に入る。 靴を脱ぎ玄関に上がるとすぐに未空の私室へと向かう。
ベッドに寝かせると、靴を脱がせ、タオルケットを一枚かけてやる。 起きる気配はなく、すうすうと寝息を立てて寝ている。
よほど疲れていたのだろう。 新しい生活環境になってまだ日が浅い、どこかしら緊張が抜けないのだろう。
日の光をちゃんと浴びているのかと聞きたくなるほど、未空の肌は白い。 全体的に華奢で、触れれば折れてしまいそうな風貌だ。
気紛れに手を伸ばすと、髪の毛に触れる。 思ったよりも柔らかいそれを撫でれば、ウェーブのかかった髪がはねる。
「ん……」
調子に乗って色々いじくっていると、未空が小さく身じろぎ、ゆっくりと瞳を開く。 寝ぼけているのか、海希を見ても何の反応はない。
「……海希?」
ようやく海希を確認するが、それ以上は頭が回らないようだ。 光加減によって青みがかっている瞳は、淡い色とは云え日本人にはありえない色だ。
「目、大丈夫だったか?」
「……はい。 海希も、いるから……めずらしくなかったみたいです」
時折染めているかと聞かれるが、海希の金髪も地毛だ。 学校では悪目立ちしかしないこの髪も多少は役立ったらしい。
嬉しそうに話す未空に、自然と手を伸ばし頭をくしゃりと撫でた。
「海希の髪……綺麗」
「そおか? お前も少し茶色っぽいけどな」
「光に当たるとすごく、キラキラして、綺麗」
邪気のない笑顔でそう言われると、多少恥ずかしい気持ちになる。
「俺は、お前の瞳が好きだな」
「?」
「こうやって、さ」
未だにぼうっとしている未空に近づくと、その顔を至近距離から覗き込む。 大きな瞳が海希を見上げている。
「近くでみると、青いのがよく分かって、朝焼けの海みたいだ」
未だに夢うつつな未空にこんな事を言っても、多分覚えてないだろう。
「海」
「海好きだな。 名前にも入ってるしな」
「じゃあ……海希はひよこですね」
「……ん?」
まったく脈絡のない反応だったが、未空なりに話が繋がっているのか、嬉しそうに言う。
「金色でふわふわしてるし、私、好きです」
少し照れたように未空が笑うが、海希は乾いた笑みしか返せなかった。
なんと言っていいかわからず、とりあえず、笑った誤魔化す。
「海希……ありがとうございます」
そう言うと、未空の瞳がゆるゆると閉じられ、また規則正しい寝息が聞こえ始めた。
苦笑すると海希は立ち上がり部屋を後にした。 視界で前髪が揺れる。 わざわざ綺麗、など言われた事は初めてだ。
せいぜい染めなくて楽そう、などは言われた事はある。
未空の場合、あの瞳はコンプレックスの一つだったのだろう。
嬉しそうに笑った未空の笑顔が脳裏に浮かび、海希の口元も自然と上がった。
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