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 意識が目覚めた場所は真っ白な天井の下だった。 すぐに自分が倒れたのだと思い出し、最近はこんな事が多いと苦笑する。 清潔なシーツの匂いがする、ここは保健室だろうか。
 ゆっくりと上半身を起き上がらせると、世界が軽く揺れる。 めまいだ。

「まだ寝てろ」

 カーテン越しに響いた低い声に、未空は小さく体を震わせる。 ここが保健室だとしたら教諭がいてもおかしくない、未空は素直にもう一度ベッドに横たわる。

「軽い貧血か……そういや朝あんまり食べなかったな」
「……あの」

 続けて響いた声に、なんだか聞き覚えがあるような気がした。 しかもなぜ未空が朝食をあまり食べていないのを知っているのだろうか。
 だがその疑問もカーテンが開けられると、シャボン玉のように消えてなくなった。

「え……」
「よぉ」
「……海希?」
「以外の何に見える?」

 そう言って目の前の男は不遜に笑うと、色素の薄い前髪を邪魔そうに耳にかけた。
 家に居たときのようなシャツにジーンズのようなラフな格好ではなく、白衣を身に纏っている。
 しかしその相貌は、ここ数日で見慣れた―海希だ。

「……なんだか、保健室の先生に見えます」
「だろうな」
「??」

 まるで肯定するかのような返事に、未空は怪訝な目で海希を見つめ返す。
 寝起きの頭がゆっくりと動き、答えを導き出すと思われた瞬間、保健室の扉が豪快に開かれた。

「未空?」

 ノックもなしに入ってきた少女はくったくない笑顔で保健室に入ってくる。

「斉藤、ノックは?」
「忘れてましたー」
「そんなに毎回忘れるようなことじゃないだろうが」

 そう窘める海希の言葉を無視して、麻美が未空の寝ているベッドに近づいてくる。
 海希は気分を害した様子はなく、ただ諦めたかのように小さくを息を吐いた。

「どう、大丈夫?」
「あ、はい」

 慌てて返事をすると、麻美は嬉しそうにそっか、と言う。 その表情に心配してきてくれた事を感じて未空は嬉しくなる。

「あ! そーだ、未空」
「はい?」
「この保健室の先生が、この学校のもう一人のハーフだよ」

 そう言って麻美が指差した先に居たのは、海希だ。 人を指で指すな、と言いながら思わず口を開いてぽかんとする未空に小さく笑いかける。
 先ほどの言葉になんとなく予想はしていたものの、いざ事実を突きつけられると改めて驚いてしまう。

(海希が、私の学校の……先生?)

「明日からは朝飯ちゃんと食べてから学校に来いよ」
「あ……はい……先生……?」

 未空がそう言うと海希は満足そうに頷く。 海希、と言い慣れた今になってはその単語はまるで場違いなように感じたが、下手な事は言えない。
 ベッドから抜け出し、上履きを履いて海希に一応お辞儀をする。 すると少し苦笑した海希が未空の頭は軽くくしゃくしゃ、と撫でる。

「よーし。 もう行け」

仕上げにぽん、と頭を叩かれると、やる気がなさそうに麻美と未空に向かって手を振る。 出て行け、という事なのだろう、もう一度小さくお礼を言うと、未空と麻美は保健室からでる。

「じゃ、教室帰ろう〜」
「はい」












***












「びっくりした?」

 下駄箱で待ち合わせをしていた笹良にそう問われ、未空は首を傾げる。 海兄、と笹良が付け加えてようやく意味がわかると、素直に頷いた。
 その未空の様子を見て満足そうに笑っているところを見ると、二人が意図的に未空に知らせなかったのだろうと予想がついた。

「本当に、先生なの?」
「うん」
「……なんだか、想像つかなくて」

 御庄家が普通の家と比べて裕福なのは、未空もうすうす気づいていた。 だから二人とも何かしらの事業をしているのかと考えていたのだ。 まさか先生―しかも保健室。 まったく予想もしていなかった職業である。

「じゃあ、御庄さんは何をしてるんですか?」

 実際、海希も笹良も『御庄』なのだが、未だに未空は匠の事を名前で呼べずにいる。 学校で会う笹良や、何かと家にいる海希と違い、忙しいのか家にいない事が多い匠の前では緊張してしまうのだ。

「えと、哥哥のお父さんの会社で働いてるよー」
「? 御庄さんの、お父さん?」
「うん」
「え、じゃあ、あれ? なんで海希もその会社入らなかったの?」
「うーん。 哥哥とかは入って欲しかったみたいだけど、海兄が断ったんだってー」
「そう、なんですか……」

 御庄家の人は、まだまだ計り知れないかもしれない、と未空は思う。 ね、と笹良は先ほどとは打って変わって少しまじめな顔をしながら未空に話しかけてくる。

「クラス、どうだった? 何も言われなかったよね? 瞳の事とか」

 確認するような瞳に、未空は目の前の少女が本当に心配してくれている事がわかった。 前の学校で使っていたカラーコンタクトの事を漏らした時から気になっていたのだろう。 笹良を安心させるように微笑むと、未空は微笑んで頷く。

「そっかぁ。 未空、今日の朝なんとなく心配してたから」
「海希のお陰かもしれません。 海希の方がもっと目立ちますから」
「あー。 たしかに。 でも私は未空の瞳の方が好きだなー」

 そう言って屈託なく笑う少女は、愛されて育ったのだとよく分かる。 たとえ血が繋がってなかろうが、彼女は愛されて幸せに育ったのだろう。 だからこそ甘い砂糖菓子のような優しさを人に振舞う事ができるのだ。

「ありがとうございます」
「あ!ちょっと寄りたいお店があるのー。 付き合ってー」
「何のお店ですか?」
「雑貨! 見てるだけで楽しいんだよ」
「あ、私も見るの好きです」
「ほんと?! じゃあこの辺のお店とか未空に案内するね!」

 目を煌かせながら言う笹良は本当に楽しそうにしている。 笹良が気に入っている店はどれも可愛い品が置いてあり、時折手にとっては二人で感想を言い合う。
 何件か巡った後、笹良はシンプルな革のブックカバーを買っていた。 黒のそれはスタイリッシュだが、笹良のイメージとはかけ離れている。
 不思議そうに笹良がお会計しているのを見ていると、その視線に気づいたのか笑って、哥哥の、と言った。

「本、好きなんですか?」
「大好きだよ。 いっつも読んでるもん」

 軽くラッピングしてもらった袋を笹良は大事そうに抱える。
 その後は二人とも他愛のない話をしながら、帰路に着いた。






***






 リビングで笹良とくつろいでいると、玄関からただいまという声が聞こえた。 その声に笹良が勇み足で限界に向かい、おかえり、と元気よく向かいいれる。

「おかえりなさい」
「ああ」

 声ですぐに海希と分かっていたので、リビングに入ってきた彼に未空は落ち着いて挨拶をする。 その手にはスーパーの袋が握られている。

「未空、レバー食べれるか?」
「え? ……まあ、あまり、好きじゃないですけど」
「食べろ。 俺がレバニラを作ってやる」

 そう言って腕まくりをしながら海希がキッチンの方へと向かう。 シンクで手を洗う海希に 笹良は、レバニラ嫌い〜、と不平を言っている。

「なんでレバニラなの?」
「一応貧血には聞くんだよ」
「貧血?」
「そ、倒れた奴がいるからな」

 そこまで言われて未空はようやく海希の言いたい事がわかった。 海希の言葉に笹良がまた心配そうに覗き込んでくるが、未空は笑いながら頬を両手で包む。
 かすかに上気した頬に、自分の気持ちが揺らめくのを感じる。
 こんな風に優しくされる事も、心配される事も、なれていないのに。 あまり好きじゃない、なんていうんじゃなかったと後悔さえし始める。
 居た堪れなくなって立ち上がると、未空はおずおずと海希の傍に行く。

「手伝います」
「いい。 今日は俺が夕飯の用意をしてやる」
「でもっ」

 なお食い下がる未空に、海希は濡れた手をかけてあったタオルで拭くと、未空の頭をくしゃくしゃと撫でる。

「いいから、座ってろ」

 そう言ってぽんと叩かれたのは今日二回目だ。 海希の癖か何かなのだろうか。
 ゆっくりとその場から離れて未空は叩かれた頭に手を乗せると笹良の居るリビングへと向かう。 ソファの上に座り込み、叩かれた場所に手を伸ばす。
 なんだか心臓がつかまれるような、わけの分からない感情がどっと沸いてくる。

「未空? 大丈夫、また気分悪い?」
「……大丈夫、です」

 多分、先ほどよりももっと上気しているであろう頬を隠すために未空は蹲りながら、辛うじて笹良に返事をした。 本当は顔を見て笑って安心させてあげたかったが、まだまだ熱は引きそうになかった。
7th/Dec/08

 

 

 

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