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 フォーエルが部屋に戻ってきたのは深夜遅くなってからだった。 扉が開く音にアリアは寝かけていた頭を起こす。一人になって少したった所で机の上の書類に下敷きにされていた小さなナイフを見つけた。
 あの周到な男が忘れたとは思いにくいので、意図的に置かれていたのだろう。 けれどそれは縄を切るのが精一杯な代物で、それ以上は何にもならなかった。
 律儀にも部屋に置かれていた果物を食べながら空腹を誤魔化す、まさか食事を出されるとは思っていないし、不思議と空腹感はさほど感じなかった。
 窓はあるが破ったところで人がすり抜けるほどの大きさはない。
 ドアを蹴破ったところで見張りはいるはずだ、少し投げやりな気持ちになり空が藍色に染まる頃に窓の外の風景を見ながら横になったのだ。

 まどろんでいる自分の体に叱咤をかけ、起き上がるとフォーエルの自嘲気味な笑みとぶつかった。
 心の端で、顔を見れた事に少し安堵する。

「これが、最後かもな」
「え……?」
「ハーバイルでクーデターが起こった。取引していた王は殺されたらしい……そしてどうやらこの国の王女が嫁いだ男が軍を率いてこちらに向かっているらしい」
「どう、いう……」
「ハーバイルが裏切ったのは知っていただろう? 実際には取引さえあったのさ。その助力がなくなったからな」
「またフィレンツィアは戦場にするつもり!?」

 焼かれた町の悲惨さが脳裏に思い浮かぶ。
 非難するようにフォーエルに食って掛かるが、男はアリアの言葉など聞いていない様子だ。

「夜明けには、いや、夜明け前には着くか。 まあ、あちらも国内がごたごたした状態でくるのだから全軍ではない上に疲労しているはずだ。 五分五分か?」
「……それでも、死ぬかもしれない」

 ハーバイルの軍隊が大陸一だという事は周知の事実だ。
 それだと言うのに目の前に男の口元には笑みさえ浮かんでいる。

「だから? 別に勝つ事は俺の目的じゃない」
「だったら、何が」
「喜べ、良くて相打ちだ、祖国は助かるんだぞ」
「………逃げ帰ればいいでしょう」
「司令官である俺が? ここで死ぬか国に帰って死ぬか、だな」

 アリアの言葉をバカにしたように切って捨てる男は恨めしそう睨む。
 しかしアリアのその表情さえ楽しむように、フォーエルはアリアのウェーブかかった髪を一房手に取ると、指で感触を楽しむ。

「扉は開けておく。 混乱に乗じて俺を殺す事も可能だぞ」

 その言葉にアリアは何も言わず、ただ俯いた。 フォーエルはそんな女の様子を訝しげに見ながら、踵を返した。
 戦いの前に気分が高揚しているのか、足音はまるで楽しんでいるように響く。
 扉が閉められるが、鍵がかけられた気配はない。

 最後、だと言った。
 あの背中を見るのが、最後。

(……いや)

 心の底から恐怖感がわきあがり、足元の力が抜ける。
 そのまま自分の肩を抱きしめると寒さに耐える人のように体を縮ます。

(失いたく、ない)

 相反する感情が胸の中であばれ、アリアは耐え切れず嗚咽を漏らした。頬を伝う涙がシーツに染みをつくる。 どうにもならずシーツに顔を押さえつけ嗚咽を隠そうとするが上手くいかない。 体が震えて仕方がない。

 憎い。それは確かに胸の奥底にある感情だ。
 なのに、確かにあの男を思おう気持ちが憎しみを包み込もうとしている。
 それに気づきたくはなかった。
 あの夜。
 温もりを求めて擦り寄ってきた男を殺せる覚悟は、もうない。
 自分の愚かさを呪いながら、アリアはただ涙を流した。






***






 遠くから光が見える。
 ゆらゆらと揺らめくそれは闇からにじみ出た光のようだ。それだけ見ればずいぶんと巨大が軍団に見える。 それこそが敵の狙いなのだろうが。
 光が近づくたびに、緊張感が走る。 ただ一人―フォーエルだけが楽しそうにその動きを見ている。

「……怖いなら、逃げてもいいぞ。 俺が許す」

 隣に立っていた老兵にそう告げる。言われたグレンは神妙な顔つきでフォーエルの方を向く。

「私に死ぬ気はありません。 でも、あなたは最初からこれを待っていたのではないのですか?」

 相変わらず鋭い男の言い分にフォーエルは答えを返さず、ただいたずらがばれたような顔で笑う。 それこそが何よりも雄弁な肯定だ。

「フォーエル様」
「無駄口をたたくな!くるぞ!」

 何十メートル先には数千とも思える軍団が列を並べている。
 騎馬隊から一人飛び出すと、みなに指揮を与えている。 あれが新王である事は疑いようがない。
 彼が剣の真っ先をフォーエルたちに突きつけた瞬間、それが合図だった。






***






 血を吐いて絶命する男を横目に、フォーエルは荒い息を吐いた。 さすがに軍事で国を率いてきた国の兵士だけに手ごわい。
 けれど地理は早くについていたフォーエルたちに理がある。 そうそう無様な負け方はしない。周りの敵はあらか た片付けた、けれどもすぐに他の者が来るだろう。 それまでにと剣の汚れを綺麗に布でふき取る。
 そして訪問者は予想よりも早めに来た。
 ゆっくりを振り向くと、漆黒の鎧に身を固めた黒髪の男が立っていた。
 前髪の間から、深い青と淡い青の瞳が見える。

「なるほど、王自ら前線に立つとは。 お飾りではないらしい」
「私は仮の王にすぎない。 新王は城に居る」
「そうかな?あんたが王になる事は運命ではないのか?」
「………」
「”空の色と海の色を持つ者よ、そなたは覇王となろう”、か。 よくできたのだ」
「予言などおとぎ話だ」
「けれど現に軍を率いてクーデターを起こしたのだろう? 結局血は血で購うしかない!」

 フォーエルが叫んだの合図かのように、目の前の王が剣を構える。 フォーエル自身もゆっくりと己の剣を構えなおす。 お飾りなんかではない死線を潜り抜けてきたであろう男の殺意が伝わってくる。
 お互い牽制しながら、じわじわと地面を踏む。先に一歩踏み出したのはフォーエルだった。
 獣のような咆哮と共に、鋼同士がぶつかる音が響く。 お互いに力は互角だ、何度か打ち合うとすぐにそれがわかった。 ならば次に勝負となるのは―スピードだ。
 久々に高揚する戦いだ、命のやりとりを剣の切っ先でする事が、フォーエルは嫌いではない。そして目の前の王は戦うに値する男だ。

(覇王、か。 俺達にふさわしいのはこのような王なのかもしれないな)

 もしアメジスタがハーバイルに統合されようと、フォーエルの王が彼になる事はない。
 ひときわ早い剣がフォーエルの腹を狙い繰り出される、間に合わない事はすぐにわかった。 ただ覚悟を決めたように、瞳を閉じた。

「っ!」

 予想した痛みは感じられず、ただずっしりとした重みがフォーエルにぶつかる。
 目の前の男が驚いたように剣を引く気配があった。
 ツン、と血の匂いが鼻につく。 ゆっくりと瞳を開けると、信じられないものがフォーエルの腕の中にいた。

「バカな!」

 わき腹の裂傷を苦しそうに抑えているのは、数時間前に自由にしたはずの捕虜だった。 振りかざされた剣ではなかったので、そんなに深い傷ではない。 すぐに手当てをすれば死傷ではなくなる。
 呆然としながら、フォーエルの口についたのは疑問だった。

「何故、助けた……?」

 零れ落ちた問いは、フォーエルの本心だった。
 フォーエルの腕の中で苦しそうに喘ぐ女が荒い息の中、フォーエルを見つめる。 それだけで体が硬直するのがわかる。
 我に返り衣服を破ると止血をする。 斬りつけた相手も未だ驚いたように目の前の情景を見ている。 闘争の空気は消え、なんとも言えない居心地の悪い雰囲気になってしまった。
 手当てをするフォーエルの手は情けないほど震えていた、アリアにも確実に伝わっているのだろう。

(っくそ!)

 出血の割りに傷は浅いのを確認するとようやく息をついた。 それまで息をする事さえ忘れていたのだ。 けれども震えは止まらない。 
 手当てがひと段落着いたところで、アリアがようやく口を開いた。
10th/Mar/05

 

 

 

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