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 来た時と同じようにティアラはアレクに抱きかかえられるようにして馬に乗り、帰路に着く。 近すぎる距離が、アレクの温度を直にティアラに伝える。 それを不快と思う事はなく、逆に心地がいいとさえ感じていた。
 こんな時間が何時までも続けばいいとさえ思ってしまう。
 思わずアレクに強くしがみつくと、ティアラが怖がっていると思ったのかアレクが大丈夫か?と声をかけてくる。 小さく頷くとアレクはそうか、と言ったきりまた無言になった。
 ちらりと上を向けば、精悍な顔つきが見える。 締め付けられるような、嬉しいような。 奇妙な、だが決して不快ではない感情。
 一体これはなんなのだろうか。
 城の門を潜り中庭までくると、先ほどと同じように降ろされる。
 離れた体温に、少しだけ寂しい気持ちになる。

「先に上へ」
「はい」

 手綱を手にして厩舎へと向かうアレクの背中を少しだけ見つめると、くるりと振り返り城内へと入る。
 一度中に入り階段を上がり、隣の建物と繋がっている橋へと向かう。 そこからなら中庭が―戻ってくるアレクが見えるはずだ。
 少し乗り出すようにして、橋の壁石に手をつき待つ。

(早く、来ないかな……)

 厩舎はそう遠くない上、そこで引き渡せば終る仕事である。 すぐに戻ってくるはずだ。
 どうして自分がこんなにも彼の帰りを待っているのか、分からない。

(分かりたくない)

 それが分かってしまえば、自分の中の何かが終る。 そう、思ってしまう。
 ぼんやりとそんな事を考えていたティアラの体が急に強い力で押される。
 力をまったく抜いた状態で背中から意図的に誰かに押されたのだと気づいたのは、バランスをすでに崩した後だった。

「あ……っ!」

 二階と言っても、結構な高さがある。 すでに壁石からは手は滑り落ちており、ティアラを支えるものも、縋れるものもない。
 まるでスローモーションのようい自分が橋の上から落ちていくのを感じる。
 
(―死ぬの?)

 そう思った瞬間、アレクの顔が浮かんだ。 まだ数日しか知らない男の表情は無愛想な顔が多い。
 その中でぎこちない、少し遠慮げな笑顔も浮かぶ。
 胸が締め付けられるほど、逢いたくなった。 これが最後になるなら、一目見たいと叫びたくなった。

「ティアラ!!」

 怒声のような声を怖いとは思わなかった。 幻聴だとしたら、ずいぶんと気前のいいものだ。 初めてティアラと言われたのだから。
 衝撃を予測して、ぎゅ、と目をきつく閉じる。

「っ!」

 だが訪れた衝撃は思ったより小さく。 馴染んだ熱さに包まれている事に気づく。
 恐る恐る瞳を開けると、ティアラの下でアレクが彼女を抱きしめるように倒れていた。
 背中に腕を回されており、瞬間ティアラはアレクが自分を庇ってくれた事を知る。
 絶句するティアラをよそに、アレクはティアラの上半身を起き上がらせると、自分も頭を起き上がる。 片手を地面に、もう片方は後頭部を抱えながら小さく呻いている。

「い、医者をっ……」
「落ち着け、大して打ってない」
「でもっ」
「お前は?」
「私は、何もっ……庇ってくれたお陰で擦り傷もなにもありません」

 いっそ擦り傷ぐらいあればいいのに、と思ったが、完全にアレクを下敷きにしたお陰でティアラの体は無傷だった。

「そうか」

 そう言ってアレクは立ち上がると、ティアラの降ってきた場所を見上げる。 けれどそこにもう人影はない。

「どうした? 立て」

 未だに座り込んでいるティアラに向かいアレクが言う。 そう言われティアラは立ち上がろうとするが、力が入らない。 今まで、どうやって立ち上がっていたのだろうか。
 かたかたと小刻みに震える足を叱咤しても、恐怖に支配された体は言う事を聞かない。
 そんなティアラを見て、何か気づいたのかアレクが傍にしゃがみこむ。
 そして無言でティアラの肩を抱き、両足を持ち上げられる。

「アレ、クッ」
「手を首に。 ……軽いな」

 そう促されティアラは遠慮げに震える手を伸ばす。 すぐに気恥ずかしくなり、顔を隠すようにアレクの首元に顔を押し付ける。
 落ちている最中はなんの恐怖も感じなかったのに、助かってアレクの顔を見た瞬間に涙がでそうになるほど安堵して―怖くなった。
 どうして、最後に一目見たいと願ったのがこの人だったのだろうか。

 祖国の家族でも、友人でもない。
 名ばかりの夫。
 いつかは―別れるであろう他人。

 答えはすでに分かっている。 けれどティアラ自身が認めたくないだけだ。

(……アレク)

 苦しい思いも、嬉しい思いも、感情すべてが彼に向かっているようだ。
 他人に対してこんな激しい感情を抱くのは初めてだった、けれども本当のティアラは分かっていた。

 誰よりも、何よりも、アレクを愛しているのだ。
 目頭が熱くなり、涙が零れ落ちそうになる。 それを悟られまいとティアラはぐ、と涙を堪える。
 そんなティアラの異変に気づいたのか、アレクが気遣うように声をかける。

「どうした……やはりどこか痛むのか?」
「……痛い……」

 苦しげに搾り出すような声にアレクが、やはりどこか打ったのだな、と声をかけてくるのが聞こえる。
 
(……痛いのは、貴方を想う―心……)
19th/May/05

 

 

 

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