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 朝、目が覚めた時に夫であるアレクが傍にいるのは―実に二回目だ。 一昨日よりも、昨日、昨日よりも、今日。 確実にアレクはティアラの傍にいる。
 おはよう、と呟くように言われるとティアラは気恥ずかしさにはにかみながら、おはようございます、と返した。
 すでに身支度を終えたアレクに対して、ティアラは当たり前だが寝着のままであり、柔らかな金糸の髪も今は乱れている。
 手櫛で髪の毛をお情け程度に整える。 アレクが傍に居る、それだけで己の心が浮きだつのをティアラは感じていた。

「今日は、どこかへ?」

 突然の質問にティアラは頭を横に振る。 アレクの服装はいつもの硬い軍服ではない、とは言えきっちりと襟がつめられたその服は休日の格好とも言いがたかった。 けれどそういった格好が目の前の男にはあっている気がした。

「久しぶりに休みが取れたんだ。 何か、お前はしたい事があればつきあうが?」
「いいえ。 どうぞゆっくり休まれてください」
「いや、一度目が覚めるともう眠れない。 部屋でじっとしているのも性にあわなくてな」
「そう、なのですか……」

 そう呟いてティアラはちらりと窓を一瞥する。 外に出たいのは山々だったが、それを口にするのは憚れた。

「……外にでもでるか?」
「よろしいのですか!」

 ティアラの思考を読んだかのようなアレクの提案にティアラはすぐに答える。 自然と大きくなった声を恥じるように、シーツで顔を隠すと合間から柔らかな雰囲気のアレクが見える。
 ずっと厳しい表情しか見ていなかったティアラにとって、純粋な驚きだった。

「どうした?」

 そう言ってアレクは手を伸ばすとティアラの柔らかな髪を撫でる。 その心地よさにされるがままになっているとアレクが何かに気づいたように手を引いた。 少しばかり狼狽して見えるのは気の所為なのだろうかとティアラは考える。
 ドアの外で控えめなノックが響く。 返事をするとマイラが顔を出した。

「お召し物をお持ちいたしました」
「ありがとう……ええと……今日は」
「マイラ、ティアラの身支度が済み次第今日はもういい。 ティアラには私がついていよう」
「……かしこまりました。 お言葉に甘えさせていただきます」

 感情のない、淡々とした声でマイラが答える。 その様子にティアラはマイラが怒っているのではないかと危惧する。

「準備が出来たら、私の事を呼んでくれ」
「はい」

 そう言い残すとアレクは奥の間へと入っていく。 残された侍女がティアラの着替えを手伝う。
 髪も結い、化粧をした所でマイラは失礼いたします、と言い残し部屋からでる。
 一人きりになるとティアラは深く息を吐いた。
 少しだけ、アレクを前にするとティアラは緊張してしまう。 これが”王族”の力なのだろうかと思うが、エドや自分も王族だ。
 けれどアレクのようなそこに立っているだけで相手を圧倒するような雰囲気もオーラも持っていない。」

 昨夜耳にした”覇王”のその言葉がどんな意味を持つのか、ティアラは知らない。 けれど、ティアラの目からみてアレクには人を良い意味でも悪い意味でも惹きつける何かをもっている。
 けれどアレクはそんな自分を疎んでいる。 それがとても悲しく感じる。
 自然と耐えるようにドレスを掴む。 どうして自分がこんなにも苦しい気持ちになるのかが分からなかった。
 昨夜の話の中でどうしようもなく目の前の人物を抱きしめたくなった。 飄々とした表情の裏に、少しだけ痛みを垣間見た気がした。

(だめよ、ティアイエル・フィレンツィア……いつかは私は国に帰る……あの方とは別れる運命なのだから!)

 いつかエドが政権をとれば、アレクはその兄となる。 見たところ兄弟の仲は良好のようだ。 アレク自身エドを補佐する気でいる。 そうなった時にティアラのような小国な王女がいつまでも妻でいるのは立場的に不利になる。
 大国のハーバイルとのパイプを太く持ちたいと考えている国はいくらでもある。 あるいはティアラのように己の国の保身の為に王女を差し出す場合もある。
 
 暗くなる考えを振り切るように首を横に振ると、ティアラは立ち上がり奥の部屋の扉をノックする。
 遠慮げに開けると、本を片手にソファに座っていたアレクが待ちくたびれたような瞳でティアラを見る。

「やっと、か」
「ごめんなさい、遅くなってしまって」
「いや……女性の身支度が時間がかかるものだという事は、マリージェーンでわかっている」

 実際にはベッドで何もせずに考え込んでいた時間もあったのだが、ティアラは何も言わず微笑む。

「馬に乗った事は?」
「……あまり。 自分の足で歩くのが好きですから」
「ハーバイルは広大だ、そんな事を言ってられないぞ。 『足』では遠すぎる場所もある。 風を切る感触に慣れれば心地良いものだ」

 そう言ってアレクが自然とティアラの手を取る。 骨ばったごつごつとした手は出来る限りの優しさをもってティアラの手を握っていた。

 冷たい唇、温かな手。
 冷ややかな態度、柔らかい表情。

 相反するイメージにティアラはどれが本物のアレクなのか分からなくなる。
 けれど今は、包まれた手の暖かさが本物なのだと思うことにした。






***






 アレクに抱きかかえられるような形で馬に乗る。 颯爽と駆けていく馬の振動にティアラは自然とアレクにしがみつく。
 けれど町の景色を見たいという誘惑には勝てず、腕の間から覗く風景に目を奪われる。
 段々と町から離れ、回りの景色が緑に染まる頃にはティアラは馬の乗り心地にもだいぶ慣れていた。

「ついたぞ」
「はい……きゃっ」

 先にアレクが軽く地面に降りる。 それから手を伸ばしてまるで幼子にするようにティアラを抱き上げると地面へと降ろす。

「ここ、は?」
「私の秘密の場所だな。 ついて来い」

そう言って知った風に歩き出す長身をティアラが小走りで追う。 隣に追いつくと、アレクがゆっくりとペースを落としてくれる。
 そんな心遣いが嬉しくてティアラの気分は高揚する。 小鳥のさえずりと木々のざわめき以外は何も聞こえない。
 緑の匂いをティアラは肺一杯吸う。
 やがて歩いた先に大きな泉が現れる。 太陽の光が反射してきらきらと光っている。
 木々に守られるように囲まれたそこは、まるで別次元だ。

「綺麗、ですね」
「ああ……私も時々訪れる」
「お一人出でですか?」
「ああ……人を連れてきたのは初めてだな」
「なぜ……私を?」

 軽い疑問だったのだが、問われたアレクは困ったように唸り上を見上げる。
 そこまで悩ませるような事だとは思っていなかったティアラは焦るが、アレクはすぐにふ、と笑いティアラに向きなおす。

「さあ、どうしてだろうな。 嫌だったか?」
「いいえ! まさか!」

 光栄です、と焦ったように言葉を続けると、アレクが微笑む。 アレクに微笑まれるたびにティアラの胸が高揚に、締め付けられる感じがする。
 昨夜から目の前の人物を前にすると、まるで自分が自分じゃない感覚に陥る。

「フィレンツィアは、緑が多いと聞くが?」
「ええ……ハーバイルより発展はしていません。 皆自然と暮らしていますから……でも綺麗な国です」

 祖国の事を聞かれた事が嬉しく、ティアラはつい饒舌になる。

「ああ……見てみたいな、お前の国を」
「私も、見せたいです」

 どこか遠い瞳でそういうアレクにティアラは微笑む。 けれどそれが無理な事など百も承知だ。
 同盟を組んだとはいえ、皇子であるアレクが他国へそう気軽へ行けるわけがない。 大掛かりな事になってしまうのだ。
 それでもティアラは美しいフィレンツィアの緑をアレクに見せたいと思った。 生命の美しさをもっと知って欲しい、と願う。
 
 光溢れるこの場所に佇む男は、軍人でも皇子でもなく―ただの美しい人に見えるのだから。
16th/May/05

 

 

 

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