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 相手の姿が完全に見えなくなると、ティアラの頬から涙が零れだした。
 
 あの後、自室まで運んでもらい医者に安静を言い渡された。 珍しく寝付くまでアレクが傍に居てくれた事もあり早々に寝入ってしまった。 その所為か真夜中にぱっと目が覚めてしまい自分の隣のアレクが寝ているはずの場所が冷たい事に気づいた。
 部屋で待っていればよかったのに、ただ純粋に逢いたい、という気持ちだけで部屋を出た。
 ほとんどの人間が寝付いている時間なので、城中は静かだった。 とある一室で人の話し声が聞こえ、その部屋の前に行った瞬間、信じられないような言葉が聞こえていた。

『とぼけるな! 私と目が合っただろうが! ……なぜティアラを突き落とした?!』

 激しいまでの怒声は、確かにアレクの声だった。 その後に続いた声にティアラはまた衝撃を受けた。
 足が震えだし、その場にしゃがみこんでしまいたい気分になる。
 部屋の中では口論が続いているらしいが、今のティアラには何も聞こえない。 ドアの前で立ち尽くしたまま、なんとか平静を取り戻そうとする。

『……あの方を、愛してらっしゃるのですか?』

 その言葉が聞こえてきた時、ティアラは今までのショックが吹き飛んだ気がした。 自分が望むような答えを得る事はないと分かっているはずなのに、淡い期待が湧く。

『違う。 私は主人に牙を向けたお前を許さないだけだ』

 否定を予想していたとは言え、やはりどこかショックだった。 これ以上話を立ち聞きするつもりもなかったが、自分でも予想以上に傷ついたのか足が凍りついたように動かない。
 すると突然ドアが勢いよく開き、中から人影が飛び出してくる。

「きゃっ」

 小さく悲鳴をあげてよろめく。 だが出てきた人影―マイラは丁度死角に入ったティアラに気づかなかったのかそのまま走っていってしまう。
 そろそろこの場を離れなければと思うのに、まだ足が動かない。 そうこうするうちに半開きの扉がまた人の手で開かれる。

 ティアラが居る事にアレクは言葉を失ったようだ。 見開かれた瞳に罪悪感が湧く。

「アレク……」

 沈黙を壊すと、アレクが途端に申し訳なさそうな表情を浮かべた。 アレクなりに『侍女に殺されそうになった』という事でティアラが傷ついてると思ったのだろう。
 なぜここに居る、と問われティアラは素直に探していた事を告げる。 けれど声が震え言葉が所々切れる。 
 探り合うような会話はまどろっこしかった、ただ聞きたい事があった。

「マイラは、貴方の恋人なのですか?」

 なるべく冷静に尋ねたつもりだが、自信がない。 アレクも返事に困ったようにしている。

「いいや。 だが関係を持った事は、ある」

 アレクにしては歯切れの悪いその言葉に、ティアラは思わず俯く。 なんと言って良いのかが分からない。

「体だけの関係だ、向こうもそう思っている」

 そう続けられた言葉にティアラはゆっくりと顔を上げる。 違う、そうじゃない。

「いいえ、マイラは貴方を愛していたのです」

 自分の声が自分のものではないかのようだった。 けれど彼女の気持ちは痛いほど理解できた。
 恋い慕う男の隣に突然、妻が―しかも他国の―現れれば憎いと思うのは当然だ。 それこそ、手にかけようとまで思いつめた、彼女の恋心が。

「馬鹿馬鹿しい、たとえお前が死のうと、私の心はあの女のものになど、ならないというのに」
「そうですね……女は愚かです。 私も……」

 貴方を愛しています。 そこだけ言葉にせず、心の中で呟く。

「お前にも? 誰かを殺めてでも手に入れたいと相手が?」

 ティアラの言葉に、アレクがそう問う。 まさか貴方です、とか言えず、ティアラは小さく頷く。
 不思議とマイラを責める気持ちはなかった、けれど嫉妬はあった。 目の前の男に触れた事がある、という事に。
 見上げているアレクの顔が険しくなっていく様子に、ティアラはただならぬ予感を感じる。

「アレク……?」
「残念だったな、今のお前は私の妻だ……たとえ、名ばかりであろうと」 
「ええ……分かっています……」

 そう言ってティアラは微笑む。 嘘偽りもない気持ちだった。 思いを伝えられない辛さはあるが、傍に入れる嬉しさはある―期限があろうとも。
 アレクは何かに耐えるように唇をかみ締めていた。 やがて強く噛みすぎた所為か唇が切れ血が唇を伝う。
 その様子に驚き、ティアラは思わずアレクの名を叫ぶ。
 そこでようやくアレクも自分の様子に気づいたらしい、思わず手を伸ばしてその下唇に触れる。
 血を拭おうと動かそうとした指は、腕ごと引き寄せられ、強引に抱き寄せられた。
 突然の事に頭が一杯になると、すぐに唇が塞がれた。

 歯列を割ってアレクの舌がティアラの舌を捕らえると、強引に絡める。 初めて受ける口づけに、ティアラはただ懸命に受ける。
 何度も何度も角度を変えてアレクの唇が責めてくる。 片手で固定された頭の所為で逃げるに逃げれない。
 酸素不足で頭がぼう、としてきた所でアレクがティアラを開放した。 思わず深く息を吐き、戸惑いがちに彼の名前を呼ぶ。

「血を……」
「え?」
「血を見ると、女が欲しくなる。 マイラもその時に関係を持った……悪かったな」

 そう言われティアラの頭は真っ白になった。 その後、アレクはまた何か言葉を重ねたが何も聞き取れなかった。
 去ってゆく背中をただ見つめる事しかできず。 ただただ零れ落ちそうな涙を我慢するしかなかった。

 愛されているはずがない、それは知っていた。 けれどあんな激しい口付けを知ってしまった今、どうしろというのだろうか。

「アレク……アレク……」

 嗚咽に混じり零れる名前に応えてくれる者は居ない。 行かないで、傍にいて、とそう言えたらどんなに楽なのだろうか。
 けれどそれが無理だとティアラは痛いほど知っていた。
 初めて知った恋は―ひどく辛い恋だった。
22nd/May/05

 

 

 

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