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 自分でも気づかぬまま戻った自室で、ティアラはベッドへ倒れこむ。 体を支えていた糸がすべて切れてしまったようだ。
 虚ろなままドアの方を見つめていたが、誰かが戻る気配はない。 のろのろとベッドの中に入ると、きつく瞼を閉じる。
 早く眠りにつきたいと願うほど、眠れなくなる。 なるべく何も考えないように心を無にすると、ようやく眠りの沈黙が訪れた。

 朝、目覚めてすぐ周りを見渡すがアレクの姿はない。 帰ってきたという気配すらない。
 深く息を吐き、悲しみが胸を占める。
 ベッドから出る気にもならず、ぼんやりと座っていると扉の外でノックが響く。
 どうぞ、と声をかけながら、一体誰だろうかとティアラは考える。 マリーの場合ノックと共に入ってくる場合が多い。
 失礼します、という声と共に入ってきたのはティアラと同い年か、それより幼い少女だった。

「はじめまして、私今日からティアイエル様付きの侍女になりました、ルルゥと申します」

 明るい茶色の髪をした少女は、同色の大きな瞳をくりくりさせながら陽気に言った。

「よろしく……ルルゥ。 それと私の事はティアラでいいわ」
「えっ……。 光栄です、ティアラ様」

 太陽のような明るい笑顔は、暗いティアラの心を慰めてくれる。 アレクが遣わせてくれた侍女であろう彼女は様子からして、前の侍女の事は知らないらしい。
 ルルゥの手伝いで身支度を終えると、おなざりなノックと共にいきなりドアが開いた。

「ティアラ、居るかしら?」
「マリー」
「あ、マリー様!」

 つかつかと歩くたびに情熱的な赤毛が揺れる。 ぶしつけにティアラの手を取ると、ルルゥに向きなおす。

「貴女はついてこなくてもいいわ」
「かしこまりましたっ」
「マリー?」
「いいから、早く来て」

 急かすようなマリーの様子をティアラは訝しげに見つめる。 つれてこられたのは初めの方にマリーにつれてこられた庭だ。 あの時は分からなかったが中庭と繋がっているようで、小さく昨日の橋が見えた。
 思わずその橋から目を逸らし、マリーに笑いかける。

「どうしたの? マリー」
「貴女……大丈夫なの?」
「え?」
「一応内密にしてるみたいだけど……エドから聞いたのよ、貴女の侍女の話を」
「……ご覧の通り、私はなんとも」
「まあ、アレクが傍に居たのだから、当然よね」

 そう言いつつもマリーは小さく安堵の息を吐いた。 心配された事が嬉しくてティアラは純粋に笑顔を浮かべる。

「良かった……。 貴女は無事で」
「……私、は? 誰か傷ついた人が?」
「……ねえ、ティアラ。 私、本当は予言なんて信じていないの。 私自身がそうであると言われても、到底受け入れれないわ」
「予言……」

 その言葉を聴いた瞬間、脳裏にアレクが写る。 だが今はそれだけでも胸に痛みを呼ぶ。

「アレクの予言を下したのは、私の母よ」
「え……」
「アレクが生まれた時には廃れてるはずの風習だったのよ。 それが何の気紛れか私の母はそこにいて、そう予言してしまった」
「………」
「けどそれを聞いたのは、生みの母親と私の母、后付きの侍女……それで終るはずだったのに」

 そう言葉を続けて、マリーの顔が苦しそうに歪む。 何かに耐えるようなその表情に思わずティアラは手を伸ばし、支えるようにマリーの背中を撫でる。

「けれど何らかの形で王の耳に入った。 まあ、その侍女でしょうね。 王は怒り狂ったわよ、そのような者に王位はやれぬってね」
「そんな……」
「結局、エドが王位を継ぐ事で一度は決着したわ」
「一度、は?」
「……まだ幼い頃、アレクは何者かが放った刺客に酷い傷を負わされた事があるの」

 傷、という言葉にいつかみた背中の大きな傷が思い浮かぶ。

「命は取り留めたけど、刺客はその場で自殺。 首謀者も闇の中……でも皆が言っていたわ、王の仕業だって」
「そんな! 仮にも、実の……息子に……」
 
 そこまで言って、先日の王の冷たい視線を思い出す。 愛情のかけらが一つも見えない、冷たい視線。 子供を愛さない親が居るわけがない、と思う一方で自分の考えが甘いのではないかとあの冷たい視線が考えを打ち砕く。

「私は、何もできないわ。 予言者の、娘だから……傍に居るだけで、辛い思い出を思い出させる」
「そんな事……アレクはマリーを大切に思っています」
「エドの婚約者だからよ。 私はアレクを救いたかったの、彼が好きだったから……」
「マリー……」
「……貴女は、アレクの事が好き?」

 まっすぐと、目を見つめられ、そう問われる。 嘘を許さない鋭い目線に、ティアラは俯く。

「守ってあげたい、です」

 そう言葉にすると、その思いは一層真実味を帯びた。 抱きしめて、苦しみから解き放ってあげたかった。

「それは、同情?」

 そう言われティアラはすぐに首を横に振って否定する。 それから手を顔で覆う。 マリーが手が優しくティアラの肩を包む。
 その瞬間自分の中の感情が堰を切ってあふれ出したのを感じた。

「好きに……どうしてなったんでしょうか? あの人の事を知らないのに、傍に居るだけで……こんなにも嬉しい、なんて」
「そう……じゃあ、貴女が愛するのは、あの人なのね」
「でも、私には何もできないんです」
「ティアラ」
「私、知っているんです。 愛しても、必ず愛されるわけではないという事を。 あの人とは……ずっと一緒には居られない」

 耐え難い別離が、いつかはやってくるのだ。 今はただ、それが怖い。
 この国に来た当初は、こんな感情を抱くとは微塵にも思っていなかった。

「でも人の心は変わるわ。 私はエドを愛するようになったように……貴女がアレクを愛するように」
「いいえ……嫌なんです、期待するのが。 傷つく事が、怖い」

 奇跡を待って、幾戦もの絶望を味わうくらいなら、いっそ目を閉じて眠っていたい。 何も感じないように、ただ流れるように身を任せられればいいのに。
 マリーはティアラを抱きしめる腕に力を込める。 そして優しく語り掛ける。

「辛いわね、人を愛する事って……どうしてなのでしょうね? 幸いな事でもあるのに」
「…………」
「しっかりなさい。 貴女は大丈夫よ」

 ティアラの頬を伝う涙がマリーの手によって拭われる。 年下である彼女に縋る事はみっともない事だと分かっていたが、マリーにはそれだけの包容力があった。
 凛として微笑む少女は、愛する喜びも痛みも知ったように見える。

 ふとマリーの顔つきが厳しいものになり、城の外へと目線を向けた。 ざわざわと木々を揺らす生ぬるい風に、思わず背筋に悪寒が走る。

「嫌な予感がするわ……何かが起こるような」
「予感?」
「……気のせいだといいのだけど」

 そう言うマリーの顔つきは厳しいままだ。 その表情に不安を抱きながら、ティアラはもう一度吹き抜けた不吉な風に体を震わせた。
25th/May/05

 

 

 

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