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 日も落ち、蝋燭の明かりに照らされた廊下をアレクは黙々と歩いていた。

「兄上」

 聞きなれた声に呼び止められ、アレクは足を止める。 振り向かずとも相手はすぐに分かる。 振り返れば案の定陽気な笑顔を浮かべたエドがこちらへ駆け寄ってくる。

「エド……」
「姉上とは? 少しは話などもしましたか?」
「ああ、話したな」

 いっそ話しすぎた位だ、心の中で付け加える。 エドはそんなアレクの胸中を知るはずもなく、満足げに笑う。
 アレクは弟の笑顔を時折ひどく眩しいものに感じていた。 自分が持っていないものを持っている弟を羨ましく思わない事もないが、そんな弟の人柄をアレクは素直に尊敬している。
 5歳年下の弟が20歳になり王位を継承するのに、あと3年かかる。 そうすればハーバイルは新しい王を向かえ、新しい国づくりができるようになる。

「姉上というより、妹ができたような感じです」
「マリージェーンと比べて、という意味でか?」
「僕と同い年のはずなんですけどね。 年上って感じがするんですよね、気が強いからかな」
「そうか」

 エドがマリーにプロポーズした日、彼は真っ先にアレクの所に来た。
 プロポーズをした後逃げるようにしてアレクの所に来たのだ。
 エドがマリーに愛の言葉を告げたのはその時がはじめてであり、案の定そのプロポーズはすぐに断られた。 それからエドの一途な求愛は始まったのだ。
 あまりに純粋なそれは、アレクでさえ哀れと思うほどであり、そんなイメージが今も付いている。

「マリージェーンはお前を助けてくれるだろう。 お前たちは幸せになる」
「……兄上は、ティアラでは不満なのですか?」
「いずれ国に返してやるさ……命令でもない限り、私は妻は娶らない」
「子供を生ませないためにですか!? 貴方が望めば……僕は王位なんてどうでもいいのに!!」
「王はお前以外にいない。 私は余計な火種を作りたくないだけだ。 お前は少し自信がないだけだ、そのような事は二度と口にするな」

 諭すように言うと、エドは不満げに俯く。 エドがこのような事を言うのは、初めてではない。 その度に牽制をするのだが、諦める気配はない。

「私はこの国を滅ぼしたくはないのだよ」
「滅ぼすと決まったわけではない! 貴方も父上もあの予言に踊らされているのです!」
「私はお前の国が見てみたい。 剣を持たぬ優しいお前が作る国を、な」
「……僕には、兄上がまるで自分から破滅に向かっているようにしか見えないのです」

 吐き出すように言われた言葉に、アレクは苦笑しながら、そうかもしれないな、と返した。 自分の手で作れない事が分かっているからこそ、エドにそれを実現して欲しい。 そんな思いは逆にエドにとっては重荷になっているのかもしれない。
 エドは考えるように俯くと、口を噤む。 その場をさるタイミングも失い、居心地の悪い沈黙が続く。 どうしようかとアレクが考えていると、エドが何かを思い出したかのように顔を上げる。

「そういえば」
「?」
「最近、父上が外と連絡を取っているようです」
「外と……?」
「はい、側近を使って、使者を出しているという報告がありました。 内容も相手も分かりませんが」
「……厄介ごとじゃないといいんだがな」

 父王が政から手を引いて幾分か立っている。 表立ては父が、実際はエドや議会がこの国を治めている状態だ。
 その父が外とコンタクトを取る―それも内密に―という事は、本来必要がない事だ。 なにかの個人的な意図がないかぎり。

「昔の権力に縋っている、愚かな」
「実の父親に対してその物言いはないだろう」
「兄上はそうやって、いつも父上を弁護する……だから僕は父上が嫌いなんです」

 拗ねたようにいうエドは歳相応に見え、アレクは微笑ましい気持ちになる。 だがそれもあと3年間のみに許された事だ。
 王になれば、今以上の孤独と責任が付いてまわる。

「お前はあまり気を病むな、私がうまくやる」

 せめてお前が王位につくまでは。 そう心の中で続けながら力づけるようにエドの肩に手を置く。
 エドも少し安心したように、素直に返事をした。
 それでは失礼します、と言いエドが去っていくと、アレクは重い足を自室に向けた。
 重い気分だが、これからもずっと避けていくわけにはいかない。 これ以上こじれた事になるのはアレクとしても本意ではない。
 緊張気味に扉を開く。 ティアラ、と言おうとした口は開いたまま言葉を発しなかった。
 居ると思った相手はおらず、冷たい空気だけが漂っていた。






***






 夜の冷たい風がティアラの頬を撫でる。 悪寒が背中を走り、ティアラは肩にかけていたストールごと己の体を抱きしめる。
 マリーと別れて部屋に戻ったが、アレクの姿はまだ見えないままだった。 自分以外の人の気配のない部屋で寝るのは、余計自分の孤独が浮き彫りだって見え、逃げるように部屋を出て、外に向かった。

「綺麗……」

 ネイビー色の空に散りばめられた宝石が煌いている。 静かな庭には風に揺れる木のざわめき以外何の音もしない。
 まるで世界に自分ひとり取り残されてしまったようだ。 そう思うと流れつくしたと思っていた涙が己の頬を伝うのに気づいた。
 すっかり習慣のようになった涙を止める術を、ティアラは知らない。 嗚咽はなく、はらはらと涙が零れる。

「ティアラ……!」
「?」

 静寂を裂いたのは、切羽詰った声だった。 驚いて振り向こうとするが、その前に腕を取られ引き寄せられた。
 相手の胸に頭をぶつけ、恐る恐る見上げる。 月の光で少し逆行になっているが、ティアラには相手がすぐに分かった。

「ア……アレク?」
「こんな夜更けに侍女も連れずに何をしている!?」
「……私を探しにきてくれのたですか?」
「私の質問に答えるんだ」

 密着した体から、いつもより早い鼓動が伝わる。 部屋にティアラが居ない事に気づいて、急いで来てくれたのかもしれない。
 そう考えると今度は嬉しさに涙が滲む。 心配してくれたのかもしれない、という可能性にティアラの心は途端に跳ね上がる。
 やがてアレクが深く息を吐くと、ティアラを己から引き剥がす。
 急に二人の間に冷たい風が通り、その事がひどく寂しく感じてしまう。

「泣いていたのか?」
「いいえ……」

 月夜の下、涙の痕を見つけたのか、アレクがティアラの頤を片手で掴みながら無理やり上を向かす。
 覗きこんで来る、深い青と淡い青のオッドアイが綺麗だと、場違いにも思う。

「この前は……悪かったな。 あんな事を言うつもりも、するつもりもなかった」
「……いいえ」
「エドが王になれば、そうなれば、お前は自由になれる」
「貴方が……そうお望みでしたら」

 そう告げると、アレクの表情が少し歪む。 面と向かって帰れと言うのは憚れるのだろう。 自分でもずるいとは思ったが、ティアラは自分から『帰る』とは言いたくなかった。
 本当は、この命が続くまで、アレクの傍に居たい。 なんて身勝手で愚かな願いだろうか。

「お前が……」
「?」
「……いや、なんでもない」

 歯切れが悪そうにそう言うと、アレクはティアラの手を取り、自室へと歩き出した。 ティアラは自分からも少しだけ握る手に力を込めた。
 探してくれた事が、迎えに来てくれた事が素直に嬉しい。 こうしてまた、普通に話せるようになって、心から安堵している。
 けれど嬉しくなる心はもっとわがままになる。 自分でも押さえ切れないくらいに、この気持ちが育ってしまったら、どうなるのだろうか。

(私には……貴方は救えないかもしれない。 ……でも、愛して、います)

 そう胸中で呟く。 想うだけで胸が張り裂けそうだった。
 自覚してしまった想いを撤回する事はできない。 その想いを抱えたまま生きていかないといけないのだ。
29th/May/05

 

 

 

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