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 穏やかな寝息を確認すると、アレクは静かに上半身を起こす。
 安心しきったように眠る、ティアラの横顔は美しい。 月の光で光る金の髪、今は閉じられている瞼の奥の瞳は宝石のようだと思っていた。

『お前が……』

 脳裏に浮かんだ言葉は、先ほど自分が言いよどんだ言葉だ。 自分でさえ何を問いかけようとしたのか分からない。
 貴方がそうお望みでしたら、と告げられた言葉に自分の都合の良い事を考えてしまう。
 もしも、願えば。 ティアラが傍に居る事を願えば、自分の傍に居てくれるのだろうか?

 アレクはそんな自分の浅はかな考えを一蹴する。
 自由になれば、ティアラはきっと彼女が想う相手の傍へ行く事だろう。
 あの時自分の心を支配した、黒い感情を未だに覚えている―嫉妬を。

「私は、愚かだな」

 アレクは手を伸ばすと、ティアラの頬に指を這わせる。 温もりが、生きている証が指先から感じられる。
 惜しむようにその手を下げ、アレクは再びティアラの横に体を横たえると、目を閉じた。






***






 その日の始まりも、普段とまったく同じだった。 いつもどおりティアラより早く目覚め、軍服を身に付け仕事へ向かう。 その途中でエドやマリージェーンとも言葉を交わした。 部下からの報告を聞き、軍の編成を考える。 自分の鍛錬もすませた頃、空はすっかり赤く染まっていた。
 最近はアレクの帰りを待っているティアラと夜、言葉を交わすことが日常となっている。 お互い他愛のない事を話すのだが、アレクはその時間にささやかな幸せを感じていた。

「アレキサンダー様」

 自室のドアがようやく見えてきた所で、背後から低い声をかけられる。 振り向くと一人の男が立っていた。 一瞬、見知らぬ人間と思ったが、王の側近であるとすぐに思い出す。 半分闇に解けた顔はまるで無表情だ。 側近である男が父の傍から離れる事はなにか緊急事態でも起こったのだろうかと考えるが、目の前の男は不気味なほど落ち着いて見えた。

「何用だ」
「王がお呼びです。 私とご一緒して頂きます」
「分かった、父の部屋か?」
「いえ……王座へ」

 そう言って男はアレクを促すように見る。 しょうがなく、自室へと反対方向へ足を向け、歩きだす。
 後ろからまるで監視するように付いてくる男は気味が悪く、アレクの中を嫌な予感が埋め尽くす。
 王がアレクを呼び出す事など今まで一度もなかった。

 王座の部屋の扉に手をかけると、ゆっくりと開く。 普段エドが座るそこの、本来の王が座っている。 しかしその姿は弱弱しい老人にしか見えない。
 アレクは肩膝をついて形式じみた挨拶をする。

「王のお呼びに参上いたしました」
「アレキサンダー」
「はい」
「フィレンツィアの姫は、健在か」
「……ええ。 それが、何か?」

 おかしくて堪らないといった風に、王は笑いをかみ殺している。
 その瞳に狂気が宿っている。 アレクは自分の予感が急激に現実となっていくのを感じた。

「いいや……もうすぐ無くなる国の姫など、なんの役に立つのだろうな」
「どういう事でしょう?」
「何、情報と物資を提供してやったまでだよ、アメジスタにな。 愚かな王だ、思ったとおりに動いてくれそうだ。 お前らしくもないミスだな、私の行動を見抜けなかったとは、な」

 アメジスタの名にアレクは思わず立ち上がり吼える。 ハーバイルには従順に見えるが、己のより弱い国は容赦のない国だ。 物資の提供、それにハーバイルからの後ろ盾を得た今、隣国に攻め入っていくのは目に見えていた。

「まさか! 今の貴方にそのような」
「忘れてもらっては困るな、私は王位を退いてなどいない!」
「無意味な事だ! エドに重荷を背負わせるおつもりか!」
「私はエドが王位を継ぐまでに、この大陸の中でハーバイルをより巨大な、安定した国にするまでだ! 貴様はただの一介の軍人にすぎん! 私に意見する事など許さんぞ!」

 そう吼えると、それが合図だったように衛兵たちがアレクを後ろから羽交い絞めする。 離せ、と言う前に後ろから殴られる。
 床に倒れこむと、後ろ手を縛られ自由がなくなる。 

(っクソ……!)

 床に這い蹲るような状態のアレクを見て、王は耐え切れずに声をあげて笑い始めた。

「反逆罪だ、地下牢へでもぶち込んでおくがよい」

 衛兵が後ろからアレクの腕を掴むが、それを乱暴に振り払うと、自身の足で歩き出す。
 無駄に抵抗した所で、目の前の男が未だに王という事実がアレクを不利な状況に追い込む。 しょうがなく従順に地下牢まで行くと、乱暴に背中を押された。 冷たい床に座り込む。
 生臭い匂いのする場所で、アレクは深くため息をついた。
 本来ならば、清潔なシーツにくるまれた柔らかいベッドの上で、甘い匂いのする少女と過ごしているはずだったのだが、現実はずいぶんと違う。
 アレクよりも父親の動向に気をつけていたエドなら、すぐにこの惨状に気づくだろう。 命の危険は感じていなかった。 奪うならあの場で奪っていたはずだからだ。
 自分がひどく無力に感じた。 ティアラはもう寝た頃だろうか。
 そうであればいい、とアレクは思う。 今はまだ何も知らずに甘い夢の中にいればいい、そうアレクは願った。
1st/Jun/05

 

 

 

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