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 軍用ブーツが石畳の階段を蹴る音に、アレクの意識が徐々に浮遊する。 慌しい靴音に何事かと構える。

「兄上……!」
「……エド」

 弟が現れる事は予想してはいたが、目の前の男の格好にアレクは眉を顰める。 普段携えない剣がエドの腰にある上に、簡易ではあるが防具まで身につけている。 普段、そういったものと縁がないはずのエドの姿は違和感があった。

「エド……一体、なんだ……」
「兄上、僕は父上を斃します」
「何を言う!?」
「兄上にだってお分かりでしょう! もはや父上はこの国の為にならない! 脅威になってしまったのです。 いつか僕達の命とりになる!」

 いつもとは違うエドの激しさに、アレクは少なからず驚く。 エドはすばやく牢の鍵を開けると、外に出るようにアレクを促す。

「父は未だに王座の間にいます。 アメジスタからの報告を待っているのではないかと……。 夜明けが来る前に奇襲をかけます。 僕の親衛隊ならできます」
「お前に手を汚させるものか。 私が行く」
「……貴方に、父が殺せると?」

 殺す、という直接的な言葉はまるで現実味がなかった。 アレクは苦笑すると弟の方を向いた。

「どうだろうな。 今でも憎んでいるのかさえ、分からない」
「………」
「だが、私は私が守らなければいけないものは分かっている。 心配するな、大丈夫だ」

 壁に背を預け寝ていた為か、体が少し痛む。 エドの背後に居た兵士の一人に剣を渡される。 使い慣れた剣は捕らわれた際に奪われてしまった。 慣れない剣の感触に、柄を何度も握ったり離したりを繰り返す。 手に馴染むようにと、剣の柄を握る手に力を込める。

「アレキサンダー様、防具は」
「いらぬ」

 そう一蹴すると、アレクは覚悟を決めた。 階段を上がると、アレクが思っていたよりも多い数の人間が待機していた。 エド付きの親衛隊を筆頭に、軍に属する人間の顔も見えた。

「実は……外で貴方の軍も待機しているんです。 これが終ればすぐにフィレンツィアに向かえるように」
「……手際が良いな」
「軍事的クーデターですから、ね。 僕達の勝ちは見えていますが」
「……だが油断はするなよ」

 何時間前に来た部屋の前に来ると、アレクは目を閉じて、深く息を吸った。 そして乱暴に王座の扉を蹴った。






***






 肉を絶つ感触はいつまでたっても慣れない。 切る、というより力任せに押しつぶす、といった感覚だ。 鼻をつく血の香りに、胸がいっぱいになる。 柱に背中を預け、アレクは息をつく。
 王自身、己の身の保身の為か、皇子達の氾濫を迎え入れた数は半端ではなかった。
 革命に血はつき物だ。 だがこれを革命と言えるのだろうか。 待っていればころがり落ちてくる王位はエドが20歳になるまではどの道お預けだ。 こんな事になったのも、己が父の愚考に気づけなかった為だという思いがアレクの中に生まれる。
 しかしすでに始まった事は、終らせる事しかできない。 元に戻る事など、ないのだ。
 エドの言った通りなら、この後はフィレンツィアへ進行しなければいけない、その為に僅かな戦力も削るわけには行かない。
 床を蹴ると、一目散に王座の方へ向かう。 このような惨状でも逃げずに王座に座り込んでいるのは、愚鈍ゆえか、王たるものの矜持なのかは分かりかねた。 障害を切り捨てていく様を、王はまるで傍観者のように見ていた。

「私を切るのか」
「貴方はエドの為にならない、それが私の答えです」

 そう告げると、王の瞳に始めて恐れが浮かび上がる。 剣を振り上げる。

「やめろ! アレク!」

 名前を呼ばれたのは初めてだったのかもしれない。 だが、もはやそんな事にかまっている暇はない。

「さようなら、父上」

 ひゅ、と空気を切り裂くような音と共に、その剣が目の前の男の命を簡単に奪った。 その事実に絶望の悲鳴と、歓声が同時に上がった。

「残っているものは地下牢へ!」

 これ以上、敵にも味方にも血を流させる事は無意味になる。 所々で武器を捨てさる者の姿が見えた。

「……さすがです、兄上」
「お前!?」

 苦笑いを浮かべたエドがアレクの傍に近づいてくる。 鼻についた新鮮な血の匂いに、アレクはエドがわき腹を押さえているのに気づく。
 慌てて駆け寄ると、斬りつけられたであろうわき腹から血が流れていた。 横たわらせるとすぐに止血を頼んだ。

「かすり傷です、すぐに治りますよ」
「医者を早く呼んで来い!!」
「兄上、王位を継承して……フィレンツィアに」
「何を言っている」

 エドが苦しげな息の下でそう告げる。

「軍の総指揮ができるのは王だけです。 兄上が個人で動かせる軍隊はたかが知れてる……僕には王になれる権利がまだ、ない……フィレンツィアを救うにはっ」
「私は王位を継承する気などない!」

 そう怒鳴りつけると、エドが弱弱しく微笑んだ。 青白いその顔に、エドの傷が重傷なのだと思い知らされる。

「アレキサンダー様……恐れながら」
「なんだ、ルース」

 背後から近づいてきた部下の声に、ぶっきらぼうに答える。 視線はエドから離さない。

「エドワード様のおっしゃる通りかと……。 我々だけではアメジスタの軍を退ける事は難しいかと存じます」
「………」

 アレクの立場上、自由にできる軍は限られてくる。 王の勅命があって初めて、全軍の指揮を任されるのだ。 すでに今の戦いで思ったよりも負傷者が多いのも事実だった。
 総指揮は王というしきたりなどどうでも良いと思ってはいるが、今この場で破れば後々エドの国政に問題が起きるかもしれない可能性を考えれば、軽はずみな行動はできなかった。

「2年間……エドワード様の代わりとなり王位をお守りにならねば」
「…………」

 アレクは少し考えこむように俯くと、静かに立ち上がった。 ルースはそんなアレクの背中を見て、失望を隠せないそぶりをするが、すぐにアレクの意図を理解した。 アレクは王座に向かうと、すでに事切れた前王から王冠を取り外す。

「最低限な事だけでいい」
「アレキサンダー様!」
「問題は、誰が私に王冠を授けるか、か……」

 本来ならば、前王より授かるはずの王冠も、その相手が居なければ意味を成さない。 授けられる人物という点でエドもその権利を有しているが、今の状態でそのような事ができるとも思えなかった。
 いっそルースでも良いと、思った時、王座の間の扉が乱暴に開いた。

「エド……!!!」

 それは悲鳴のような声だった。 どこからか聞きつけたのであろう、マリーが真っ青な顔でエドに駆け寄ってくる。 止める間もなくエドの傍にくると、泣きそうな顔でエドを見下ろす。

「マリー……?」

 マリーの呼びかけに、うっすらと瞳を開けたエドが嬉しそうに微笑む。 そしてゆっくりと手を差し伸べる。 マリーはその手を取ると、張り詰めていたものが溢れたのかぼろぼろと泣き始めた。

「……アレク……これは」
「……お前まで来たのか……」

 マリーの後ろに居たのであろう、呆然と立ち尽くしたティアラがこちらを見つめていた。

「お怪我は?」
「無事だ」
「そうですか」

 ほ、と安堵の息を吐き。 それから心配そうにエドへと視線を向ける。 手は震えており、血の気の失せた青い顔ではいつ倒れてもおかしくないと言った風貌だった。
 アレクはふと思いつくと、手の内の王冠をティアラへ押し付ける。 分からぬようにアレクを見上げるティアラに、アレクは悲しげに微笑んだ。

「フィレンツィアとの同盟は……私とお前の間では未だ有効だ。 その為に私が仮初の王になろう」
「仮初……?」
「エドが20歳になるまでだ、さあ」
「で、も……貴方はあんなに王になる事を嫌だとおっしゃっていたのに」

 アレクの手からティアラの手へと移った王冠は、重く冷たかった。 これに、国の命運が、人の命が、権力が詰まっているのだ。
 いっそ投げ捨ててしまいたいような気にもなる。

「お前の国が救えるなら―それでもいい」
「アレク」
「さあ、早くするんだ」

 アレクがティアラを優しく促す。 肩膝を折ってティアラに頭を垂れる。
 ティアラは震える手でアレクの黒髪の上に、黄金の王冠を置く。 重たさから開放された途端に、ティアラは何かとてつもないものをアレクに背負わせてしまったのではないかという気持ちになった。

「王だ……」

 誰かがそう呟いた瞬間、部屋中に歓声が沸いた。
 未だに信じられないようにアレクを見つめるティアラに、アレクが優しく呼びかける。

「ティアラ」

 何度呼んでも、美しい名だ、とアレクは密かに思っていた。

「この戦が終れば」
「アレク……」

 ティアラの翡翠の瞳に恐れが写る。 まるで何も言わないで、と懇願しているようだ。 けれど今言っておかないと、この先、後悔するのだろう。

「私はもう戻らないかもしれない」
「やめてっ……」
「そうなれば、お前は自由だ……国へ帰れ」

 ティアラの瞳が悲しげに伏せられる。 アメジスタとの戦いは未知数だった。 クーデターが終った後の国内を空っぽにするわけにもいかないので、全軍で攻めれるわけではない。
 どんな戦いでも生きて戻れる保障はない。

「一旦全軍指揮下へ、5分の間で皆を中庭に集めろ!」

 そう部下に命令すると、すばやく部下達が動いていくのが目の端で見えた。
 俯いたままのティアラは、顔をあげる気配がない。 泣いているのかと思い手を伸ばし、頤に手をかけ上を向かせる。
 だがティアラの瞳に涙はなく、ただ強い決意が込められていた。
 瞬間、襟元をぐっと引き寄せられる。

「ティアラ……?」
「血を濡れてますから……楽になりました?」

 唇に、確かに暖かなものが触れた。

「待ってます、だから戻っ」

 言葉がすべて紡がれる前に、衝動的にアレクはティアラの引き寄せると、その唇を塞いだ。
 まばらとはいえ、周りにまだ人はいる。 だが今のアレクには、それらは見えない。
 ティアラの柔らかな唇、苦しげな喘ぎ、その優しい体温に縋りたかった。 名残惜しそうに唇を離すと、アレクはティアラをきつく抱きしめ、その体を開放した。

「行ってくる」
「……待っています」

 抱き寄せたい欲望を押さえつけ、アレクはティアラに背を向けた。
 その足取りに迷いは―ない。
1st/Jun/05

 

 

 

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