| BACK | TOP | NEXT |

 

 

 

 体力を温存しながらフィレンツィアにアレク達の軍がたどり着いたのは、深夜だった。
 夜明けは未だ遠く、暗闇だけが世界を支配している。 城の中から様子を窺う視線を感じる。
 気づかれている以上、奇襲など無意味だ。 腰から剣を抜くと、切っ先を城に当てる。

「かかれ!」

 そう叫び振りかざした剣が合図だった。 怒号が大地を揺らし、巨大な人の波が城に押し寄せる。
 盾で弓を防ぎながら、大きな正門を突き破っていく。 剣を振りかざすたびに、血の匂いが濃くなる。
 己の故郷を出る前に確かに感じていた、温もりも甘い匂いも、消えていく。

「アレキサンダー様!」
「なんだ、ルース」

 返り血を所々に浴びている部下が、焦りながらアレキサンダーに駆け寄ってくる。

「この場に、フォーエル・ダイン・カースが居るらしいのですが」
「ほお……噂の呪いの王子、か……」

 根拠のない、けれど実しやかに囁かれている噂だ。 アメジスタの王が敵国の王妃を犯し生ませた子だ、と。
 母親の愛情と憎しみのこもった呪いの所為で、彼を傷つけるものは皆、非業の死を遂げる。
 本人を見たことのないアレクにとっては、信じがたい、おとぎ話のような存在の王子だ。

(私も、そうだな)

 自分の境遇とそう変わらない。 剣を交わす相手だというのに、小さな親近感が湧く。

「お気をつけください」
「何にだ。 もし本当に居るとすれば、そいつが指揮官なのだろう? ならば倒さねばならん」
「しかし!」
「ただの噂話だろうが」

 呆れたようにアレクが言うが、それでもルースは引き下がらない。

「実際に彼を傷つけて死んだ人間はいます」
「人は遅かれ早かれ必ず死ぬ。 偶然かもしれないだろう? まあ、私が死んだらその噂に信憑性が増す事になるな」
「アレキサンダー様!」

 咎めるようにルースが言う。 生真面目な男だ、とアレクは破顔する。

「冗談だ―くるぞ」

 まるで泣き叫ぶように突進してきた男をすばやく切り捨てる。 血を見るたびに押し寄せてくる嫌悪感を、かすかに唇に残るぬくもりに縋って、抑えている。
 戦場で出会い、剣を向けた瞬間、振りかざす件に躊躇を覚えた方が負ける。 それをアレクもルースも嫌と言うほど知っている。
 切り捨てた者の家族が嘆き悲しむ声も、その者の無念も、考えるのはずっと前にやめていた。

 血に濡れた己は、死んだら地獄に落ちるだろう。 汚れた手で、彼女に触れて居はいけなかったのだ。
 戦いの最中だというのに、脳裏にティアラの鮮やかな笑顔が浮かぶ。
 赦されるならば、彼女と生きて行きたい、とアレクは思う。
 せめてその思いだけでも伝えれば、今、こんなに悔いる事はなかったのかもしれない。
 待っている、と言った彼女の優しさに、たとえティアラが他の男を想おうと、この気持ちを伝えればよかった。

 無我夢中で剣を降っていると、ようやく静寂が訪れる。 徐々にではあるが城を制圧しつつある。 城の中心部へと走っていく部下達の背を追いながら、アレクの足がある部屋の前で止まる。
 すでに小部隊が攻め込んだはずだ、そこからすでに進んでいるだろう。 そう考えつつも、アレクの足が引き寄せられるようにその部屋の扉を開け―絶句した。

 目の前に広がるのは屍の山だ。 敵味方入り混じって床につっぷしている。 流れ出した血がアレクのブーツの底を濡らす。
 誰も彼もが命を失った場所で生きているのは、たった一人だ。 死に支配された場所で、たった一人の男が立っていた。
 アレクが部屋に入った事に気づくと、ゆっくりと振り返ってきた。
 蒼い簡易な鎧を身に纏った、男だ。 長い漆黒の髪を後ろで束ねている。 紫煙の瞳をギラギラと光らせながら、男が面白そうに笑う。

「なるほど、王自ら前線に立つとは。 お飾りではないらしい」
「私は仮の王にすぎない。 新王は城に居る」
「そうかな? あんたが王になる事は運命ではないのか?」

 アレクの素性を即座に理解したらしい男は、からかう様に言う。 沈黙を返すと、男は機嫌良さそうに言葉を続けた。

「”空の色と海の色を持つ者よ、そなたは覇王となろう”、か。 よくできたものだ」
「予言などおとぎ話だ」
「けれど軍を率いてクーデターを起こしたのだろう? 結局血は血で購うしかない!」

 他国にまで知れ渡っている己の予言の事よりも、情報が知れ渡っている事が脅威だった。 まるですべてを見透かしたような男の口ぶりに苛立ちが募る。
 これ以上無駄口を叩く気はない、すばやく腰の剣を抜くと、構える。
 男もそれに習うように剣を構えるが、笑みは浮かべたままだ。
 こんな状況で笑っていられるのはただの馬鹿か―相当自信があるものだけだ。
 
 お互いが円を描くように牽制しあいながらじりじりと向かい合う。 先に一歩を踏み出したのは男だった。
 鋼がぶつかりあい、衝撃で手が震える。 交わした剣を引くと、男にまた振りかざす。
 男はすばやくアレクの剣をよけると攻撃を仕掛けてくる、だがそれもまたアレクの剣に阻まれる。
 剣がぶつかり合う音だけが部屋に響く。 すでに男の顔からは笑みが消え、お互い真剣に剣を打ち合っている。

 数えられないほど打ち合いながら、アレクが男の腹を目指し剣を振る。 すでにお互いの力量が互角なのは分かっていた。 僅かな隙を探すためには攻めていかなければいけない。 止められる事を予測しての攻撃だったが、男はまるで硬直したかのようにアレクの剣を見つめていた。 何かがおかしい。 そう思った瞬間アレクはすでに遠心力により勢いの付いた己の腕に力を込めた。
 瞬間、目の前を何かが横切り、アレクの手に肉を切り裂く独特の感触が広がった。
 けれど切り裂いたのは先ほどまで戦っていた男はではなかった。

「バカな!」

 叫んだのは、切られそうになった男だった。
 倒れていたのは見慣れる女だった。 わき腹を押さえて苦しそうに息をしている。 殺されるはずだった男はまるで信じられないようなものを見るかのように、女を抱き寄せる。

(……なんだ……これ、は……)

 寸前で剣を引いたおかげで死傷とまでは行かないが、重傷には違いない。
 ティアラとは似ても似つかぬ風貌だというのに、アレクの瞳にはダブって見えた。 故に強烈な罪悪感に胸が潰されそうになる。
 目の前で女が苦しそうな息の中でしゃべっているのが聞こえたが、内容までは頭に入ってこない。
 けれどその後に続いた男の言葉に急に現実に引き戻される。

「俺が死ななくては、フィレンツィアを蹂躙した意味がなくなる」
「どういう事だ?」

 反射的にそう言えば、女を抱いたまま、男がアレクを見た。 自分が指されたわけでもないのに、顔面蒼白で今にも倒れそうな風貌だ。

「俺の名は、フォーエル・ダイン・カース」

 驚きに目を見開く。 その名はよく聞いた名だった。
 アレクが少しの親近感を抱く―もう一人のおとぎ話の具現者だ。
4th/Jun/05

 

 

 

| BACK | TOP | NEXT |