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瞳を閉じ、神に祈る。 アレクがこの国を離れた後、ティアラはずっとそうしていた。
祖国の無事を、アレクの無事を。
そして、神は前者に答え、後者には答えてくれなかったらしい。
「ティアラ……」
心配そうな声に振り向くと、マリーが労わるようにティアラの肩を抱く。 長い間ベランダに居たティアラの肩は冷え切っている。
ティアラはマリーを安心させようと微笑もうとするが、するにその微笑みはぎこちないものになり、耐え切れずティアラは俯いた。
確かな勝利を手にして戻ってきた軍は、どこか切羽詰まってみえた。
静止の声を聞かずに意気消沈する軍の間をすり抜け、愛しい人を探した。 見えない姿に漠然とした不安がティアラを襲う。
兵士の一人が恐れ入ります、と声をかけてくる。 膝をついたまま歯切れ悪く言葉を続けた。
「敵に一太刀浴びまして……応急処置はあちらでしたのですが、未だに意識が戻られておりません」
その言葉にティアラの視界がブラックアウトする。 足から力が抜け倒れそうになると、兵士に一人に支えられた。
今にも駆け出して行きたいのに、足が動かない。 すぐにティアラの傍によった侍女により、自室へど戻される。
それからやってきた医者に、今夜が峠でしょう、と悲痛な声で告げられた時に悲鳴でもあげれば楽に慣れたのかもしれない、けれど空気は震えず、ティアラはただ呆然とその言葉を聞いた。
「アレク……」
そして今、ティアラはただ一心に神に祈っていた。
祈るしかできない自分がただただ、無力だった。
医者にも侍女にも、アレクの傍に行く事は止められている。 故にまだティアラはアレクの顔さえ確認していない。
「大丈夫よ……アレクは貴女を置いていったりなんかしないわ! そんな軟弱な男じゃなくてよ」
「ええ……」
マリーの声も震えている。 辛いのはティアラだけではない、マリーもエドも、城の誰もが新しい王を失う事を恐れている。
早く瞳を開けて欲しい、その目で見つめられたいと思う。
けれど、アレク自身が目覚めるのを拒んでいるのかもしれない、『王』という肩書きを持った今、その地位を疎んでいるのかもしれない。
やがて空が藍色に染められ、星達が散りばめられる頃になっても、ティアラはベランダから離れようとしなかった。
「ティアラ、これを羽織って……これでは貴女が倒れてしまうわ」
「ありがとう、マリー……」
手渡されたストールを羽織ると、祈りを再開させる。
どうか、アレクが無事でありますように、と。 代償が自分で命でもいい、最後に一目その瞳に写れるなら、それでもいい、と願う。
「マリー……」
「どうしたの?」
「今夜が……峠、なんでしょう?」
「………ええ。 そうよ」
戦いの疲れもたたり、皆の士気が完全に下がっている。 戦いに勝利した後とは言えず、重苦しい空気が城を支配する。
不安に心が潰されそうだった。
「アレクの傍に行かせて」
「ティアラ」
「お願い、あの人の傍に居たいの、お願い……」
マリーの腕に縋りつき、ティアラは震える声でそう言った。
「……誰が止めようと、私が許可を出すわ……行きましょう」
そう言ってマリーはティアラの手を取ると、強い力で引っ張った。 繋がれた手からマリーの震えが伝わる。 ティアラは何も言わずに、手に力を込める。
アレクがいる部屋の前までくると、マリーが扉を開ける前に、扉が自動的に開いた。
「これは、マリージェーン様……ティアイエル様まで」
「アレクの様子は!?」
部屋から出てきたのはお抱えの医師だった。 マリーの言葉に医師は難しそうな表情をする。
「後は王の気力にかけるしかございません。 しかしこのような所でお倒れになる方ではございませぬ、きっと目を覚ますでしょう」
「そう……そうよね……」
「どうぞお傍へ。 我々は隣で待機しておりますゆえ、何かございましたらすぐに駆けつけます」
医師に促されティアラは室内に入る。
「マリー?」
一緒に入ってこないマリーに怪訝そうな瞳を向けると、マリーはふんわりと笑う。
「目覚めた時、私やエドがいるとアレクが素直に甘えられないでしょう? 貴女が、あの人の妻なんだから」
「……目覚めたら、すぐに呼ぶわ」
「もちろんよ、すぐに目が覚めるわ。 すぐによ」
ティアラは両手を伸ばすとマリーを力いっぱい抱きしめた。 マリーもまた同じ強さでティアラを抱き返す。
ゆっくりと手を離すと、二人で笑いあう。 そして振り返りティアラはアレクの居る部屋の方へと向かった。
部屋の中にまた扉がありそこをあけると、清潔そうなシーツが目に入ってきた。 大きなベッドの上でようやく焦がれた人の顔を見た時ティアラは心から安堵した。
駆け出して枕もとの顔を覗き込む。
健康的な色をしていた肌が、いまは血の気を失って弱弱しく見える。 時折吐く息は荒く、苦しそうにしている。
今もなお戦っている証拠だ、上下する胸にティアラは思わず手を伸ばしてその鼓動を確かめようとする。
熱すぎる体温に、手のひらに確かに伝わる鼓動。
「アレク……」
思わず呟く。 そしてベッドの外に投げ出された手を握る。
名を呼ばれた人物に何の変化はない、けれども呼ばずにはいられない。
「アレク……私を一人にしないで、お願い」
言葉尻は震えて空気に散乱した。 瞳に熱が集まり、唇をかみ締めてやりすごそうとするが、ぽろり、と一筋涙が落ちた。
それに続くように透明な雫がティアラの頬を濡らす。 涙腺が壊れてしまったように涙が止まらない。
お願い、と嗚咽まじりに囁く。
「貴方を愛してるの、お願いアレク」
伝えていない気持ちを伝えたかった。 もはや躊躇する理由も何もない。 愛を告げたい、とティアラは思う。
そしてもしも、アレクも望んでくれるならば、アレクの傷を痛みを想いをすべて理解して―救ってあげたい。
「アレク……?」
一瞬、握っている左手が動いた気がした。
顔を覗き込むが、目覚めた様子はない。 自分の手の震えなのだろうか。
苦しそうな息に、滲む脂汗。 枕もとの傍においてある棚の上に清潔なハンカチが置かれている。 それを手に取ると汗を軽く拭う。
そうだ、今、アレクは戦っている。 ティアラが弱音を吐く事がアレクの助けになるわけではないのだ。
ハンカチを元の場所に戻すと、ティアラは少し乱暴に涙を拭う。 目覚めた時に泣き顔なんて、見られたくない。
「皆、貴方を待ってるわ、戻ってきて……ここに……ハーバイルに」
耳元で優しく囁く。 両手で熱い左手を握るとティアラは瞳を閉じた。
少しでも、早く、アレクの容態が良くなる事を祈って。
***
冷たい夢だった。 体を雁字搦めにされて、動けたいのに動けなかった。 痛みよりも体の重たさに苦しかった。
呻いても周りは闇で、人の姿は見えない。 苦しそうな自分の息がただ響くだけだった。
ひどい孤独感に打ちのめされそうになりと、視界の端で小さな光が見えた。
春の日の日差しのような暖かな光は、酷く小さく儚く見えた。
けれどもそれがまるで最後の希望のように思え、重たい腕を精一杯伸ばす。
光に触れようとがむしゃらに体を動かした。
「―っ!」
光が目を焼き、次に全身に痛みが走った。
起き上がろうにも痛みが走り、脂汗が滲む。
ふと、左手に暖かな温もりを感じる。
ゆっくりと左側に首を向けると、光を浴びて光る金髪が目に入る。 思わず眩しさに目を顰める。 ゆっくりと目を開き、それを見極める。
手の暖かさは小さな寝息を立てているティアラのものだ。 夢で感じた温かみが、今手の中にある。
「……ティアラ……」
握られた手を取ると、体を起こしその手に口付ける。
不思議と体の痛みが少し楽になったような気がする。
「ティアラ……」
体を屈め、耳元で優しく名を呼ぶ。
その声にティアラは小さく身じろぐ。
瞼に隠された翡翠の色をどうしても見たくなり、もう一度名を呼んだ。
その声に今度こそティアラの瞳がゆっくりと開いた。
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