|
BACK |
TOP |
NEXT |
優しい音色に誘われるように瞳をゆっくりと開ける。 促されるように見上げた先で、夢にまで見た優しい青の瞳がティアラを優しく見つめていた。
それがアレクだと分かるのに、少し時間がかかった。 完璧にアレクの輪郭を把握すると、ティアラの両の瞳から涙が零れだす。
アレクの前でティアラが涙をを見せたのは初めてだった。 一度零れだした涙は止まる事しらず、白いシーツに染みを作っていく。
「泣くのをみるのは、はじめてだな……」
「無事で……よかった……」
苦笑するその表情に、ティアラはその温度を確かめようと自然に手を伸ばす。
その腕はすぐに引き寄せられ、熱い腕の中に閉じ込められる。
涙は止まらず、嗚咽が激しくなる。 アレクは静かにティアラを抱きしめている。
「アレ、ク」
「ティアラ……」
腕の力を緩めると、アレクの手がティアラの頬に添えられ、優しく上へと向かせる。
熱で潤んだ瞳一杯に、所々傷のあるアレクの顔がうつる。
(あ……)
何を意図するか分からないわけではない、けれど動けない―動きたくない。
「兄上ーーー!!!」
大きな音と共に扉を開き、ティアラは真っ赤になってアレクから離れる。 そんなティアラの様子に気づかないまま、エドは感激した風にアレクの傍に駆け寄ってくる。 アレクも嬉しそうにエドを見る。
「気がつかれたのですね! よかった! すっかり顔色も良くなって」
「ああ……心配をかけたな」
相手を安心させるように、微笑みながらそう答えるアレクの顔をみて、ティアラは先ほどの事がまるで夢だったのではないかと思う。
アレクは、キスをしようとしていた。 血をみたわけでもないのに。
「エド、お前……その格好はなんだ?」
怪訝そうなアレクの声に、ティアラは改めてエドを見る。 王族の正装ではなく、まるで学者のようなローブを着ており、それがまた似合っていた。
「ああ、僕、王位継承権を捨てようと思いまして」
「……何を言っている?」
「どちらかというと学者になりたかったんです、昔から」
本当に嬉しそうに言うエドにアレクは開いた口が塞がらない。
「馬鹿な事を! 私だって王位継承権を捨てたが、王になったぞ!」
「ああ、兄上と父上だけが言ってた事ですね。 でも僕の場合はもう議会にも通しましたよ」
「何を言っている!? なぜだ!?」
「父上は国を滅ぼされる事を恐れたが、一番父上が国を脆くしてしまった―巨大になりすぎた事で。 兄上、この国は軍事国家です、議会で決められ事が僕達がやったように軍事的クーデターでいつでもひっくり返せる状況にあります。 だからこそ、兄上にこの国を総て欲しいのです」
「私に、父上と同じ事をしろと言うのか」
「覇王ですか? それなら父上より上だ。 後戻りはできないんです、兄上。 それにすべてを統一する事で平安は訪れる。 けっして滅王になどなりません―僕がならせませんよ」
「お前は、私を買いかぶりすぎだ」
「貴方まで父上のように覇王の言葉に踊らされる必要はありません。 力には力を。 貴方にはそれができると信じているから、任せたいんです」
まるですべて吹っ切れたかのように笑うエドに、アレクは言葉を失う。 今何を言っても、勝てる気がしない。 深くため息をつくと、ティアラが慰めるようにアレクの肩にそっと触れる。
「私は見たいです、アレクの国を」
「僕も、見たいですよ。 兄上!」
「……人事のように……」
アレクが恨めしくエドとティアラを見る。 けれどその瞳に王への拒否感も嫌悪間もなく。 やだ穏やかな瞳をしていた。
そんなアレクを見たエドは安心したように笑う。
「じゃあ今夜は、新王の誕生を祝って―宴ですね!」
***
初めて王という肩書きを持ちアレクが公の場に立ったとき、一瞬にしてその場に沈黙が落ちた。 押し黙った、というより皆がただアレクの存在感に圧倒されて声を出す事を忘れてしまった故だ。
その圧倒的な存在感を持つ男に、王としての要素がすべてそろっているように見えた。 やがて見えない威圧感に、人々は自然と膝を折り、彼らの新しい王に頭を垂れた。
緊張した時も、短いアレクの挨拶の後は、皆が開放感からか明るく宴を楽しんでいた。 そんな皆の様子に微笑みを浮かべつつ、ティアラは目的の人物を探す。
中心から離れたバルコニーにその姿を見つけた時は、少し微笑ましく思った。 宴の主役ともいえるのに、彼はどちらかというと静かな空間を好むようだ。
バルコニーに出れば人々の喧騒は遠くなり、静かな夜だという事がよくわかった。
月夜に照らされたアレクに声をかけようと思うが、言葉がでない。 忍び寄るように無言で傍にいくと、気配に気づいたアレクがティアラの方を向く。
そして優しげに微笑むと、ようやくティアラは安心してアレクの傍へと駆け寄った。
「傷の具合は? まだ本調子ではないでしょう?」
「寝ていたお陰か直りが早いそうだ。 怪我そのものより意識が戻らなかった事の方が心配をかけたようだしな」
「よかった……」
「ああ」
そのまま優しい沈黙が二人を包む。
言葉を捜す事さえも、楽しい。
「ティアラ」
「はい」
呼びかけられて、ティアラは嬉しそうにアレクを見上げる。 アレクは珍しく歯切れが悪そうに口を開いては閉じを繰り返している。 何か言いにくそうにしているが、意を決したように口を開いた。
「国へは、帰るのか?」
「……貴方が、そう望めば」
ティアラはそう言って、自分の中の勇気がしぼむ音を聞いた。 意識のないアレクにはあんなに素直に自分の気持ちを吐露できたというのに、いざ意識のある本人を前にしては怖くて何も言えない。
傍に居たい、その一言が言えない。
皇帝となった以上、良い縁談はまだ他にもある。 側室を持つ事だって考えられ、もしもアレクの息子が次の帝国を継ぐとしたのならば、側室の国の方が強い力を持っていれば戦になるかもしれない。
それならば、あと少しだけ、傍にいたい。 見詰め合うだけで、この気持ちが伝わればいいのに、とティアラは思う。
「なら、傍にいて欲しい」
「………え?」
何を言われたのか理解できず、ティアラは間抜けな声を出してしまう。 そんなティアラを見て、アレクは痛いほど真剣な顔になる。
「他の男を愛していても、私の傍にいて欲しい……名前だけではなく、本当にお前と夫婦になりたいんだ、ティアラ」
何度も夢見た光景だった。 けれどティアラの想像よりもずっと真摯なアレクの求愛にティアラは息をするのを忘れる。 その言葉をかみ締めながら理解すると、感情があふれ出し、涙となって頬を濡らした。
「嫌なら断ってもいい……強制しているわけじゃないんだ、ティアラ」
涙を拒絶と取ったのか、アレクがそう告げる。 その声色は強張っており、アレクが傷ついた事を雄弁に伝えてくれる。 ティアラは嗚咽の中、違うの、と言いたいのに言葉にならない事にいらだつ。 言葉がでない、それでも伝えたい。
腕を伸ばすとアレクに抱きつく。 一瞬戸惑ったようにティアラを見たアレクだったが、すぐにティアラの背を抱きしめる。
「嬉しくて、傍に……居ても、いいの?」
「居てくれるのか?」
驚いたように言うアレクに、ティアラは微笑んで見せた。 愛しさが胸からこみ上げてくる。 どうしてもなく幸せなのに、どこかもどかしい。
「好き」
「ティアラ……」
「嫌な女です。 マイラが貴方の傍から居なくなって、嬉しいと感じるような……」
「………」
「それでも……傍にいても、いいですか? ……いいえ、傍にいたいんです、お願い」
そう告げるとアレクが一層力をこめて抱きしめてくる。
「帰さない、帰すものか……! 本当はお前に拒絶された時、どんな風に言い包めて私の傍にいさせようか考えていた」
いたずらがばれた子供のように笑うアレクに、ティアラは笑いながら、透明な涙がぽろぽろと零れた。 悲しい涙ではない、嬉しい涙だ。
アレクの手が優しくティアラの涙を拭う。
「綺麗な涙だな」
「アレク……?」
「……愛している、ティアラ。 ずっと、伝えたかった」
アレクの口から初めて聞かれる愛の言葉。 その言葉はティアラの涙をとめる役目は果たさず、むしろストッパーを決壊させた。
「私も、愛しています……アレク、貴方だけを……」
目を真っ赤にさせながら言うティアラに、アレクが口付ける。
おでこ、目元、頬―そして唇。
「傍にいて、私を愛していてくれ……永久に」
「貴方が、望んでくれるなら、ずっと……」
まるで都合のいい夢だ。 けれど全身で感じる熱い体温がこれが現実である事を告げる。
回された腕は強く、唇は優しく、耳を打つ鼓動の音がティアラを落ち着かせる。
幸せで伝う涙は、止まらない。
喜びの、暖かな希望に溢れた涙だ。
アレクに優しく涙を拭われ、ティアラは愛しい人に満面の笑みを見せた。
|
BACK |
TOP |
NEXT |