| BACK | TOP | NEXT |

 

 

 

 まるで監獄のようだとティアイエルは思う。 外に出れば護衛という名の侍女がつき、唯一部屋に居る時だけが心休まる時間だった。
 一旦部屋の外に出てみれば、侍女だけではなく四方から監視されているようにも思える。 ピリピリとした空気にティアイエルの神経は磨り減るばかりだ。
 けれども外に出れば初日に出会ったあの男に会えるのではないだろうかと、できる限り歩き回った。 逢って何を言うかもわからず、探す。
 けれどそんなティアイエルの努力もむなしく、休むまもなく時間は過ぎ、今は煌びやかな衣装に身を包み鏡の前に座っていた。
 フィレンツィアから持ってきたドレスを着て、同じく装飾品をつけ、フィレンツィアの香りを纏う。 きっとこの香りは今日で最後なのだろう。
 美しい緑の祖国は目を閉じればすぐそこにあるのに、現実はとても遠い。
 心が挫けそうな時はかならず、祖国を思い出していた。 暖かな日差し、柔らかな笑い声、ここにはティアイエルを慰めるものは一つもない。
 外と言えど、城の外には出られないので、窓の外をくいるように見ていただけだ。
 侍女も入れ替わり立ち代りで覚える暇もない。 今もティアイエルの髪を結っている侍女は初めて見る顔だ。 黒髪か茶色の髪が一般的なハーバイルにおいてティアイエルの金糸の髪と光るような白い肌は目立つ。 綺麗です、王女様と声をかけられてティアイエルは顔を上げた。
 白い、幾重にも重ねられたドレス、綺麗に束ねられた金の髪、そしてどんな宝石よりも煌く翡翠の瞳。 いつも冷静な侍女が少し興奮気味にティアイエルの言葉を待っている。

「綺麗だわ、ありがとう」
「いいえ。 そろそろ時間です。 参りましょう」
「そう」

 もうそんな時間なのね、とぽつりと漏らすと侍女がティアイエルの表情で何か察したのか、励ますように話しかける。

「アレキサンダー様は見目麗しいお方です、王女様とお並びになればこれ以上美しい夫婦がこの世界にいるはずがないと皆が思いますわ」
「まあ……」

 侍女の言葉にティアイエルは初めて自分の未来の夫の名前を知った。 見目麗しい、といわれ名前も知らぬ男の顔が浮かぶ。 研ぎ澄まされた刃物のような美しさだったと思う、人間離れした美しさ。
 そこまで考えてティアイエルは苦笑する、これから逢うのはエドワードの兄だ。 きっとエドに似た優しい顔をしているに違いない。 エドワードも端正な顔をしている。

「これを」

 重厚な扉の前に来たところで、そう言われベールを被らされる。
 ゆっくりと扉を開けば、赤い絨毯が目に入った。
 その先に立つ人物をベール越しに見る、長身なのだろう、と輪郭だけわかる。
 ゆっくりと、震える足を叱咤しながら前へ進む。 ハーバイルの王族の婚姻の儀にしてはこじんまりとしたモノだったが、ティアイエルはそんな事は知らない。
 ようやくエドワードの顔を見ると、一度見知った顔に少し緊張が解けるが、隣に居た美しい赤毛の少女にきつく睨まれてしまい一気に顔を強張らせる。
 祭壇を上がり、ようやく夫の前へとたどりつくと、ほっとする。 司祭の言葉にうなずく声は低く、どこかで聞いた事のあるような声だった。
 滞りなく儀式が進み、夫の手がティアイエルのベールにかかる。
 白みがかっていた世界が一気に鮮やかに色をつけ、ティアイエルは初めて夫の顔を見つめた。

「……あな、たは」
「私の忠告を聞かないからだ……」

 そう言って、あの夜の男はティアイエルの頬に手を添えると唇を奪う。
 初めての口付けに、抵抗すら忘れティアイエルの頭は困惑する。 意外にも熱い唇に体の心が震える。
 永遠のように思えた口付けは、そっけなく男から離される。
 男の瞳に愛情など一滴も見えず、唇の熱さと比例して、冷たい瞳をしている。
 おめでとうございます、と周りから聞こえる歓声が今は偽物のようにしか聞こえない。

「おめでとうございます」

 そうまじかで言われた時、ティアイエルはすでに祭壇からは降りていた。
 人懐っこい笑顔で皇子、エドワードはティアイエルに笑いかける。 アレキサンダーは特に何も言わず、弟はまたそんな兄を見て笑みを深める。

「ひどいわ!アレク!」

 エドワードの隣に立っていた少女が一歩前に出て、アレキサンダーを恨めしそうに見つめる。 アレキサンダーはため息を一つつく。

「命令だ」
「だからって……しかも、こぉんな小国な姫と!?」
「マリージェーン」
「……わかってるわよ」

 咎めるようにアレキサンダーが少女の名を呼ぶと、ふて腐れたように少女は返事をした。 そして少し隠れるようにアレキサンダーの後ろになっていたティアイエルに視線をむける。
 一歩踏み出した少女は、ティアイエルより少し背が小さいが、ハーバイルには珍しい赤毛を持ち、ティアイエル同じ翡翠の瞳をしている。

「私はマリージェーンよ、よろしくティアイエル」
「よろしくお願いいたします……マリージェーン様」
「マリーでいいわ。 あと様も不要よ。 立場的には貴女の方が上なんだから」
「同じようなものじゃないの? 僕たち結婚するんだから」
「そんな予定、まったくないわ」
「……そう言う会話をここでするな」

 妹であるアリエルと同じぐらいの年頃の少女に圧倒さっれていると、支えるようにアレキサンダーの腕がティアイエルの肩を抱く。 話から推測するとマリージェーンは皇子達とかなり親しい間柄なのだろう。

「少し疲れた顔をしていますね、大丈夫ですか姉上?」

 アリエル以外にそう呼ばれたのは初めてだった。 ティアイエルはエドワードの気遣いの言葉に返事の代わりに笑顔を向ける。

「抜けるか、部屋まで案内しよう」
「え……でも」
「もう誰が居なくなった所で気づきやしない」

 夫に手を取られ、ティアイエルは引っ張られる。 エドワードとマリージェーンにお辞儀をすると、視線を前に戻し長身の背中を見つめた。
 てっきり侍女に案内されるかと思ったが、そんな事はないらしい。
 ティアイエルにとって初婚だが、そんな彼女にもこの婚儀が略式のように思える。 エドワードが第二皇子であれば、彼が第一皇子―王位継承に一番近い人物のはずだ。
 そこまで考えて、初日にアレキサンダーが残していった言葉が脳裏に浮かぶ。

(……王位継承権を破棄した、皇子)

 一体どう言う意味なのだろうか、ティアイエルは少し迷うが、暗い廊下で誰も居ない事を確認すると、夫に話しかけた。

「あの」
「なんだ」

 前を向いたままだが返事が返ってきたことに安堵すると、言葉を続けた。

「………アレキサンダー様がおっしゃってた事は、どういう意味ですか?」
「……どれだ」
「あの、王位継承権を破棄した、とか」
「ああ、返還したと言った方がよかったか? 言葉通りだ。 后妃にはなりそこねたな」
「……どうして、なんですか?」
「貴女は国政に関係なく、軍人の妻として過ごせばいい」
「軍人?」
「ああ、いつでも私を失う用意をしておけ、という事だな。 その場合はきちんとエドワードが後処理をしてくれる」
「あ、貴方は、皇子ではないのですか?」
「立場上は未だそうだが、王位継承はない。 むしろ前線で国を守るほうが私には性が合っている」

 アレキサンダーの言葉はティアイエルの質問すべてに答える気などさらさらない事が伺える。 ティアイエルが言葉を失くすと、アレキサンダーからは一言もなかった。
 それでも繋がれた手は離れることなく、沈黙の中、歩く。

(冷たい人? ……それとも優しい人なのかしら……)

 冷たい瞳に、暖かな唇。 どちらが本当の彼なのか思案しながら、ティアイエルは自由な片手を胸の前で握ると不安をなくすように力を込めた。
 遠くの歓声はもはや聞こえず、二人分の靴音が反響する。 暗い廊下でアレキサンダーの迷いのない足取りはティアイエルを安心させた。
4th/May/05

 

 

 

| BACK | TOP | NEXT |