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 柔らかな朝の光に徐々に意識が覚醒する。 ゆっくりと起き上がり部屋を見渡すが、夫の姿は見えない。
 それがこの所の日常だった。 そして昼は侍女を連れて出かけるか、マリーと共にいる事が多い。 そしてあれ以来夕食はマリーとエドと食べ部屋へと戻る。 最初の頃は夫を待とうと起きていたがどうやら真夜中に帰って来るらしく最近は諦めて先にベッドに入っている。
 夫なのに数えるほどしかまだ会話がない、ソレに対してティアラは不思議な気持ちになる。

「最近忙しいのよ、アレク……エドも数える程しか会ってないんですって」
「そう、なんですか……」

 アレクの近状をよく知っているのは弟であるエドか、マリーだ。 慰めるかのような言葉にティアラは今更ながら自分が夫の事を気にする事を不思議に思う。
 傍にいれば、その一挙一動を緊張と共に見つめ、心休まる事などないというのに。
 それでも、傍に居ないと気になるのだ。

「気になる? アレクの事」
「……夫、ですから」
「そう」
「……えぇ」

 歯切れの悪い返事だったが、マリーはそれ以上追及せずにその話題を終えた。 けれどその後の話題をすぐに提供するわけではない。
 ティアラ自身も何か違う言葉を思いつくわけでもない。 沈黙がその場を支配する。

「貴女は、救えるかしら」
「え?」

 マリーがティアラの目を見ながら言う。 話の意図が分からず怪訝な顔で見返す。
 いつになく真剣なマリーの表情にティアラは少したじろぐ。

「アレクを、救える?」
「私が、アレクを? ……どういう事です?」
「……さあね。 ごめんなさい、なんでもないわ」

 マリーはそれ以上は話す気がないらしく、ティアラは聞きたい気持ちを押さえつける。
 救う。 アレクを。 一体、何から。

「じゃあ、私はこっちだから。 おやすみなさい」
「え……ええ。 おやすみなさい」

 先ほどの真剣な表情はすでに消え去り、いつもどおりのマリーがティアラにそう告げる。
 青いドレスを翻しながら廊下の先へと消えていく背中を見ながらティアラは今一度マリーの言葉を反芻した。
 けれど答えはでない。 ただ、マリーのあの真剣な表情だけがティアラの脳裏に強く残っていた。

 一人で自室への道を歩く。 静かな廊下でティアラの足音だけが響く。 侍女から解放され、一人になれるこの一瞬がティアラは期に知っていた。
 自然と足はゆっくりとかみ締めるように歩く。 吹き抜けの廊下で夜風がティアラの頬を撫でる。
 この先を行けばすぐに自室だ、だがティアラは前の方に外を眺めるように立っている人影を見つけた。
 いつもとは違う光景に思わずまじまじと見つめる。 足を進めるうちに、人影もティアラに気づいたのかゆっくりと足を踏み出した。
 影になっていた所から月光の下に現れたのは初老の男性だった。 見た事はないがこの場所に入れるのは―王族くらいだ。

「フィレンツィアの姫か?」
「……ええ。 ティアイエルと申します」
「あやつはどうした?」
「え?」
「アレキサンダーはどうしたかと聞いている」
「今日はまだお姿を拝見しておりませんので」
「……そうか。 中々の好スタートだと見える」

 いかにもバカにしたような口調にティアラは不快感を露にする。 しかしそれを口にする事はない。 ティアラの想像が合っていれば目の前の人物は―

「どうしたかね? 口が聞けないわけではないだろう?」
「貴方……は……」
「私の正体が知りたいかね?」

 さも面白そうに目の前の男は言う。 現に腹を抱えて笑い始めた。 けれどその笑いはまるで常人の元とは思えなかった。
 ティアラは急に強い悪寒を感じる。 強い恐怖を感じて思わず自分の肩を抱きしめる。
 いつ目の前の男に害をなされるかわからない、そう何かが警告している。

「教えてやろうか、私は」
「王」

 男の言葉が続く前に、男の背後から聞きなれた声が響いた。
 一度は冷たいと感じたその声色が今の場では待ちわびた助けのように感じた。
 しかし今はそのアレクの口から出た言葉に、ティアラの思考は真っ白になる。
 男の背後から現れたアレクはティアラを一瞥するとすぐに男に向きなおす。

「自室までお送りいたしましょう。 エドも心配しております」
「心配だと? 詭弁だな! あやつは喜んでいるだろうさ! あのまぬけが! 私を陰気くさい部屋に追い詰め王冠が転がり落ちるのを待っているだけだろう。 貴様に奪われる心配もせず」
「心配せずとも王位継承者はエドしかおりません」
「当たり前だ、貴様を王にするなど、考えられん!」
「そして今はまだ貴方が王なのですから」
「そうだ! 私がハーバイルをここまで巨大な国にした。 貴様に滅ぼされてたまるか!」

 激昂し叫びだす男に、騒ぎに気づいた衛兵が寄ってくる。 そして王と皇子の姿を見ると戸惑っている。

「王は興奮しておられる。 丁重に部屋にお届けしろ」
「はっ!」

 命令をもらった衛兵は王の方へと近づくと、お送りします、と声をかける。 だがその衛兵を一瞥しただけで初老の男―王は歩き出す。 アレクとは別の方向、ティアラの方だ。
 思わず身を硬くするが、王はティアラへの興味をまったく失ったようにさっさと通り過ぎていった。 そして不安げに目の前の夫を見上げる。

「アレク……」
「見苦しい所を見せたな。 あれが我らの王さ」
「王……」

 あの激しい激情の中心に居た人物が、この国の王なのか。 ティアイエルの父親であるフィレンツィアの王はどちらかというと優しい雰囲気を持っている。 王である以上非情な決断を下す場合もあるがそれでも滅多に激昂しない人物だった。
 まるで違う二人の王にティアラは言葉を失う。

「早く部屋に戻れ。 私はまだ見回りが残っている」
「どうして……王……貴方のお父様は……」

 かのような激しい態度を実の息子に乗るのだろうか。 強い感情―憎しみを込めた瞳をアレクに向けていた。
 戸惑うにアレクを見上げるティアラにアレクは苦笑する。 そして自嘲するように言葉を重ねる。

「言っただろう? 私は神に父にも見捨てられた男、だと」
「そんな……」
「お前には関係のない事だ、早く戻れ」

 そう言うとアレクはティアラの横を通りぬけ、そのまま自室とは反対方向へと歩いていってしまった。
 その背中を追うような気力もなく、ティアラはただその背中を横目で見つめた。
12th/May/05

 

 

 

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