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目覚めて一番最初に見た天井がいつもと違う事に、少したってから気づいた。
ゆっくりと上半身だけ起き上がらせると、部屋を眺める。 自分が、海希に連れられて彼の家にやってきたのはうすうすと思い出した。 しかし、今未空がいる部屋は昨日の部屋より、ずっと殺風景で何もない。 まるで誰も使っていない部屋のようだ。
それから昨日の経緯を思い出しながら、そういえば途中で眠ってしまったのだと気づく。
服は昨日のままなのだから、抱きかかえてベッドまで運んできてくれたのだ。
一度ならず二度、三度と失態を見せていると思うと、未空は恥ずかしさに思わずシーツを顔からかぶってしまう。
(起こしてくれたら、よかったのに……)
未空は恐る恐る部屋から出ると、なるべく音を立てないように階下に下りる。
まるで泥棒のようだと自嘲しつつ、リビングから人の声が聞こえほっとする。
「あのー……」
ドアを開き顔を出すと、海希が新聞を片手に朝食を食べ、笹良がちょうどお皿を片付けていた。
「おはよー。 おっちょこちょいだね、未空って! 今度は鍵忘れたって」
「全部、お世話になってすいません。 ……えと、ありがとうございました……帰りますね」
「あー送ってく。 朝ごはんぐらい、食ってけ」
「そうそう。 お腹すいてるでしょ!」
「え……あ……でも……」
「いいから、座れ」
命令口調で言われ、未空はつい言われるまま椅子に座った。
海希は無言で新聞を読みながらトーストをほお張っている。
一応お礼を言おうかと迷うが、自分から昨日の事を言い出すのは恥ずかしくて俯いてしまう。
「お待たせー!」
あの、と口にしようとした瞬間、笹良の明るい声が響いた。
焼けたトーストにスクランブルエッグとポテトサラダ。 テーブルの上には色とりどりのジャムが並んでいる。
暖かな食事を前に、急にお腹が減るのを感じる。 未空は、いただきます、と言うと食べ始める。
笹良が自分の分をテーブルに運ぶと、ちょうど未空と向き合う位置に座る。
「未空って……今、高校生?」
「はい、高2です」
「え! じゃあ一個年上なんだね!」
「見ればわかるだろう」
「私、一緒かと思ってた! 高校どこー?」
「実は最近引っ越してきて、転校したんです。 えっと、桜丘高校に転入になりました」
「一緒だー!」
「え、そうなんですか」
目をキラキラさせて、嬉しそうに笑う笹良に未空はまぶしさを感じる。
誰からも愛されて、大切にされてきたであろう、幸せな子。 きっと、拒絶なんてされた事はないのだろう。
「じゃあ、よろしくお願いします」
「わー。 先輩さんだね。ごめんね、タメ口だった」
「いえ。 私は気にしませんよ」
「じゃあ、未空もタメ口で話してよー」
「……いえ、あの……」
「もう〜」
「無理言うな。笹良、お前の服貸してやれ」
「いえ、大丈夫です。 このまま帰ります」
「昨夜もそのまま寝たんだから、気持ち悪いだろう。 洗面所とかは笹良に聞けよ。 俺もする事あるし、終わったら俺、じゃなくて匠の部屋をノックでもしてくれ」
そう言って海希は立ち上がると、食べ終わったお皿を片付け始めた。 スポンジをあわ立たせて、食器を洗い始める。
「哥哥のお皿もあるから、一緒に洗っててー」
「今度はあいつに洗わせろよな」
「哥哥はお仕事なんですー!」
洗面台に向かった海希にそう、笹良が声をかける。
これ以上お世話になるのは心苦しい。 やはり断ろうと、あの、と声をかける。
洗面台から、海希がなんだ、と顔をあげ未空はうつむきながら言葉を続ける。
「あの、一人で帰れますし、その」
「いいから、ごちゃごちゃ言うな。他人の好意には甘えておけ」
そうそう、と座っている笹良が海希の言葉に相槌を打つ。
だが人の好意を受け取った事のない未空にとって、この状況は困惑以外のなんでもない。
どうして昨日あったばかりの人間にここまで良くしてもらえるのだろうか、と困惑してしまう。
お皿を洗い終わると海希は何事もなかったかのように、ダイニングルームから出て行ってしまう。
「もし、ね」
「?」
「未空が居たかったら、ずっと居ても、大丈夫だからね」
笑顔に偽りはなにもなく、その言葉が本心なのだと未空は感じ取る。
優しくされた分だけ、こうやって優しく育っているのだ。 そう漠然と感じる。 なら、自分は―?
「ありがとう」
「いーえ! ……服はいつでも返してくれていいから。同じ高校だし! お風呂はいってさっぱりしちゃって」
「……じゃあ、甘えさせてもらいます」
「お風呂入れてくる! ちょっと待っててね!」
そのまま立ち上がるとぱたぱたと走りだしてしまう。
未空と同じくらいに食べ始めたのだが、笹良はとっくの昔に食べ終わっていたのだ。
昨夜といい、子供っぽい雰囲気はあるが、意外と世話焼きなのかもしれない。
そんな事を思いながら未空はトーストをほお張った。
***
笹良に借りた黒のワンピースは肌触りがよく、着心地が良い。
たぶん、結構高価なものなのだろう。
明るい場所で見れば、家も普通の家庭よりも大きい。
未空が寝ていた部屋も、誰の部屋でもなくゲストルームなのだと聞いた。
(ゲストルームなんて……普通はないよね)
もしかして、まったく違う世界に紛れ込んだのかもしれない、と今更家を見渡す。
ゆっくりと歩きながら笹良に教えてもらった部屋の前に立つと、少し戸惑い、軽くノックをした。
「どうぞ」
中から聞こえた声は聞いたことのないものだった。 もしかして、親御さんかと思い緊張する。 お邪魔します、といった声が若干震えていたが、無視して扉をゆっくりと開く。
開いた先で机に腰掛けていたのは、海希と同じ歳くらいの男性だった。 ハーフの海希と、日本人離れした顔をしている笹良が兄妹であると予想していたのだが、目の前の青年の関係はまったく見えてこなかった。
濡れた黒髪に同色の瞳、どこをみても日本人にしかみえない。
「やあ。 災難だったね。鍵を忘れたんだって?」
「あ……はい……」
未空の戸惑いが通じたのか、目の前の男性はふ、と笑って隣を指差す。
指された方向に視線を動かすと、メガネをかけてディスプレイと格闘している海希がいた。
「この人の弟でね、御庄匠といいます」
「あ、長谷川未空です……」
「いいよ、兄さん。 後は僕がするから」
「ああ……」
メガネを外しパソコンの横に置くと、海希がゆっくりと立ち上がる。
入れ替わりに匠がパソコンの前に座った。
「ほら、行くぞ」
「あ……はい」
未空の横を通り過ぎると海希が階段をくだり、玄関に向かっている。
その背中を追いかけながら、未空は少し思案をし、口を開いた。
「あの、御庄さんっ」
「……」
ちょうど玄関の前まで来ていた海希の足が止まり、未空の方を振り向く。
複雑そうな表情をしており、まるで未空がまるで見当違いの事を言ったかのように思える。
「海希でいい、そう呼ばれるのは慣れてないんだ」
「海希さん」
「海希だ」
「でも」
「いいから」
「………か、海希……」
基本的に未空は人を呼び捨てにする事はない。
年上のしかも男性に対して敬称なしで名を呼ぶのは、戸惑う。
だが海希はそんな事はお構いなしに、よくできました、と言わんばかりに未空の頭をわしわしと撫でる。
楽しそうに細められた濃い茶の瞳に、思わず見とれてしまう。
「あ、あの……」
「ん?」
「ありがとうございます」
もう一度、未空の頭の上に乗せられた手が、優しく未空の頭を撫でる。
その感触に、未空はなんとも言えない心地よさを感じた。
こんな風に人に触れてもらった事は、一度もない。
「ほら、早くこい」
「あ、はいっ」
未空に背を向け外に出た海希を見送りながら、未空は自分の頭にそっと触れた。
体温が残っているはずはないが、優しさのおすそ分けをされた気がした。
これはきっと、神様のくれた夢なのだろう、と未空は思う。
つかの間の平穏を気の毒がってくれたのかもしれない。
けれど、きっとこれからもこの思い出は未空を励ましてくれるだろう。
久しぶりに、平穏を感じ、微笑む事ができた。
未空は覚悟を決めると、外に出るため玄関のドアに手をかけた。
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