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特別な話題があるわけでもなく、車内は沈黙で満ちている。 けれども未空はその沈黙が心地よいものに感じていた。 これが平穏だろうか。
ちらりと運転席の方に視線を向ける、朝日に光る髪は茶色というよりも金髪に近い。
先ほど紹介された海希の弟と名乗る人物とは似ても似つかない。 匠は黒髪黒目だった。 気になるが、あまり根掘り葉掘り聞くことは憚られた。
(お父さん似……なのかな……)
そう自分で答えを出し、海希の横顔を見つめていると、車が急に止まった。
黙って見つめていた事を咎められるのか、と一瞬驚くが海希の口から出た言葉はまったく違うものだった。
「着いたぞ」
その言葉に周りを見渡せば、そこは見慣れた住宅街だった。
もう着いてしまったのだ、と少し残念な気持ちになりながら、未空は一人、苦笑する。
昨夜と同じ所に停めてある。
「ありがとうございました」
「ああ……もう馬鹿な真似はするなよ」
「……はい」
ふわりと微笑むと、未空は車から降りる。
もう一度お辞儀をして車を見送ろうとするが発進する様子を見せない。 どうやら見送ってくれるらしい。
海希の心遣いに思わず嬉しくなり、口元に小さく笑みが浮かぶ。
早く行った方がいいのはわかっていたが、後ろ髪を引かれるような思いで住宅街を歩く。
一番最初の角を曲がるとすぐに家が目に付いた、玄関の前に立つと、思わず海希の方を向く。 ここからは車は見えないが、未空は立ち尽くす。
車の発信音が聞こえ、未空は夢の時間の終わりをしる。 未練がましい、と自分を諌め家の方へと向き直す。
父親はもう出社しているだろう、母親しか残っていなければ問題はない。 昨夜の事で今夜一騒動がある可能性は大いにあるが。
未空はドアに手をかけると、小さくただいまと言って家に一歩踏み出す。
そして玄関に立っていた思わぬ人物を見て、思わず声を失った。
***
(……服忘れてやがる)
車を発進させてすぐに、未空の足元にあった紙袋が振動で倒れた。 その音で、未空の忘れ物に気づいたのだ。
すぐに引き返すと袋を手に、車から降りる。
未空が歩いていった方向に歩きながら、長谷川の表札を探す。
「きゃっ……!」
角を曲がってすぐに、小さな悲鳴が聞こえた。
小さな声で、驚いた声のようにも聞こえる。 だが海希には確かに悲鳴に聞こえた。 ―しかも聞いた事のあるような声だ。
思わず駆け出すと、すぐに玄関の外にへたり込む小さな背中が見えた。
その前に立つ、大柄の中年の男も。
「おいっ!」
思わず何をしているんだ、と言外に含ませ語気をあらげる。 小さな背中が震えて、ゆっくりと海希の方を向いた。
それは確かに先ほどまで綺麗な微笑みを浮かべていた少女だった。
だが今は、涙に頬が濡れ、左頬を両手で抑えている。
「海、希……さん」
驚いたように目を見開く未空はすぐに、気まずそうに俯いてしまう。
海希はそんな未空の様子を見た後、目の前に立っている男を見やる。
興奮に頬を高潮させている、状況から見て未空の頬を殴ったのはその男しか居ない。
持っていた紙袋を投げつけるとm感情に任せて男の胸倉を掴み上げる。 男が苦しそうに喘ぐが、力を緩める気はない。
「やめっ……お父さん!」
急に現実に戻ったように未空は立ち上がると、海希の腕を必死に止めようとする。
海希より一回り大柄な父親の顔が苦しそうに歪む。
「海希さん!」
「さんは良い……どうして止める? その頬を打ったのはこいつだろう」
未空は無言で海希の腕を握る手に力を込める。 力を込めて見上げてくる瞳に、これではまるで自分が悪者のようだ、と思った。
海希はため息をつくと、掴んでいた手を離す。 急に抑えられていた手を離され男は尻餅をつく。
「お父さんっ」
「触るな!」
父親に向かって伸ばされた手は、すばやく拒否される。
未空の瞳が傷ついたように揺れるが、父親は気づかない。
「さ、昨夜は男と居たのか!? お前は母親そっくりに育ったものだ!!」
「黙れ!」
「うるさい! これは家族の問題だ! お前に関係ないだろう!」
「っきゃ」
父親の腕が未空の手首を乱暴に掴む、細い手首が今にも折れそうに軋む。
興奮した父親は、自分がどれほどの力をこめて娘の手首を握っているのか気づいていないのだ。
「未空の手を離せ」
「黙れ!」
興奮が頂点に達したのか、叫んだ瞬間、未空がひきつったような悲鳴をあげた。
握られた手に力が込められたのだろう。 海希は考えるよりも先に父親の手を掴むと、捻りあげる。 純粋な腕力では負けるかもしれないが、護身術はこういう時に役立つ程度には習っている。
骨が軋む痛みに、父親の手が未空の手首を離す。 未空は痛みに耐えるためにつぶっていた目をゆっくりと開き、自然と後退するとその場にへたり込んでしまった。
「どうする?」
「え……?」
父親の手を掴んだまま、そう問う。
「今、決めろ。 俺と来るか、ここに、留まるか」
そう言って海希は、父親の手を拘束している手とは反対の手を未空に伸ばす。
未空は呆然とした表情で海希を見上げていた、だがゆっくりとその手を伸ばしてきた。 未空の手が海希の手に完全に触れる前に、掴み上げるように未空の体を引っ張る。
そして父親を突き放すと、未空の肩を抱いた。
目の前の事実が理解できないのか、困惑した表情の男が事態を把握する前に立ち去ろうと海希は同じく呆然としている未空を車まで誘導する。
海希が車のドアを開けてやると、未空は少し躊躇して席につく。
未空の手は震えており、可哀想なくらい怯えていた。
シートベルトを締め、エンジンをかけると周りを確認して走り出す。
「……して」
「ん?」
「どうして、私を助けたんですか?」
その問いに海希は未空に一瞥すると、すぐに正面に視線を向ける。
海希自身、分からなかった。 けれどあの場でああしなければ自分が自分でなくなるような気がした。
だから、助けた。 けれど未空にはその事を言うつもりはない。
「行ったり来たりは、もうゴメンだからな」
言葉とは裏腹な優しい声色に、未空の涙腺が刺激される。
涙が一筋流れれば、つられてなん筋もの涙が未空の頬を伝う。
なんとか泣き止もうとしているが、嗚咽は止まらない。
海希はあえて言葉をかけなかった。
かけない事で、未空が心いくまで泣けるようにした。
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