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沈黙が車内には満ちている。 海希から話す気はないらしい。
余計な詮索はしない人なんだと、改めて思う。
「私……やっぱり帰ります」
感情に流された、としか言いようがない。 さしのばされた手がまるで救いの手のように見えたのだ。
けれど出会ったばかりの他人の家に行き、世話になるのには抵抗がある。
声を絞り出すように言うと、海希がわざとらしくため息をついた。
「あんな物見せられて、はいそうですか、と返せるほど俺は他人に無関心なわけじゃない」
「私の……両親は両方とも日本人なんです」
未空の言葉に海希は意図がつかめないように、眉をしかめる。
海希の横顔を見ながら、未空は言葉を続ける。
「お母さんの浮気相手の言葉なんです。私は。 ……だから」
「だからってお前が殴られる理由にはならない」
「でもっ」
「悪いのは、浮気した母親と浮気相手とそれを許せずただ生まれてきただけの子供に当たる父親だ。 お前が耐え忍ぶ義務はない」
断言するかのような口調で言うと、驚いた表情で海希を見る未空を一瞥する。
「下手に自分の存在を卑下するな。 自分だけが、結局最後には自分を救うんだ」
その言葉に未空は目を見開くと、ゆっくりと俯いた。
夢を見ていた時期があった。 もしかしたら、本当の父親は自分の存在を知らないだけで、もし知っていたら迎えにきてくれるのだと。
幻だからこそ、小さな希望だった。 けれど、その希望は未空を救わない。 あの冷たい海で未空を救ったのは、体温のある腕だったのだから。
厳しい事を言われているのに、その言葉の一つ一つが未空を励ましているように感じられる。
突き放すような口調ではない。
「だから、これからはお前が選べ。 自分でどうしたいか、それが本当にお前自身の答えなら……俺にはどうしようにもないからな」
「……」
「世話になるとか考えるなよ、単純な事だ。 家に居たいか、外に出たいか」
「どうして……」
それは二度目の問いだった。 どうして自分に手を差し伸べたのか、未空には海希の意図がわかりかねる。
迷惑事だとすぐにわかりそうなものなのに。
「さあな」
はぐらかすかのような口調ではなく、海希自身もわかりかねるかのような口調だった。
それ以上未空は口を開く事はなく、再び沈黙に満ちた車は来た道を戻っていった。
もはや見慣れてしまった家の前に着くと、先に降りる様に言われる。
すばやく車を車庫にいれ、海希が車から出てくる。
「家、入れ」
「あ……はい……」
玄関の扉をゆっくりと開けると、小声でおじゃまします、と言いながら入る。
「ただいま、だろ」
「え……あ……」
「客人扱いはしないぞ。立派な居候だからな」
ほら言え、と言われ未空は戸惑いながらただいま、と言う。
その答えに不満そうな表情をするが、海希は諦めたように息を吐く。
「おかえり〜」
未空の小さな声を聞いたというより、玄関の音を聞きつけた笹良のスリッパの音がする。
玄関にやってきた笹良は未空を見るとその表情が少し驚いたように変わる。
「あれ? 未空さん?」
「居候、開いてる部屋に案内頼む」
「はあい! じゃあ私の隣の部屋ね! 嬉しいな、男所帯だから!」
靴を脱ぐと、可愛らしいスリッパを渡される。 それを履いた瞬間、笹良が花のように微笑み、こっちこっち!と階段の方へと歩いていく。
少し迷い海希を振り向くと、無言で顎を笹良の方を指す。
戸惑いながら笹良の後を追っていくと、昨夜泊まった一室を案内された。
少し殺風景だが、一部屋丸ごとなど、贅沢に思える。
「もう好きなようにしちゃっていいよ! どうする今日買い物に行く? 哥哥もいるし!」
「でも……私、今お金ないですし」
「なんで? ここに住むんだったら家族でしょ? そーゆーのは保護者に任せればいーの! 二人もいるんだし」
「だって、ただの居候……なのに」
「大丈夫、この家の人は、みんな居候みたいなもんだし。 私も哥哥に拾われてきたしねー」
「ええっ?!」
なんともなしに言う笹良に、未空は思わず大きな声をだす。
笹良は少し微笑むと、捨てられてたらしいの、と言葉を続けた。 それに対してなんと言っていいのかわからないでいると、笹良が未空の手をとる。
暖かな体温に未空は落ち着きを取り戻す、笹良を見る。
「だから、未空も気にしちゃだめだよ?」
「ごめんなさい……」
「そーゆー時は、ありがとう、って言ってくれた方が嬉しいな」
「……ありがとうございます」
未空の言葉に笹良が満足げに微笑む。たしか年下のはずだが、目の前に少女の方が大人に見える。
「じゃ出かけよう」
***
「ああ、部屋っぽくなったな」
少し前までただのゲストルームだった部屋を眺めながら海希がそう言う。
結局買い物に行ったはいいが、遠慮がちに何を買うのにも戸惑ってばかりの未空に痺れを切らした海希が、笹良に選ばせたものがほとんどだ。
一応笹良が未空の好みを配慮し、色々聞いてはいたが笹良の趣味がほとんどだろう。
未空が荷物の中身をすべて把握する前に、買い物を済ませると家に戻ってきて、部屋の掃除に取り掛かった。
ベッドに新しいシーツを敷き、布団を出し、カーテンを付け替える。
机の上に筆記用具、ノートなどを置き、クローゼットには新しい服を入れた。
未空自身がそれをぽかん、とした顔で一つ一つ見ている。
「せめて服ぐらい、未空に選ばせればよかったな」
「えー! だって未空、一着で良い、とか言うんだもん!」
笹良の部屋よりも、落ち着いた、オフホワイトとブラウンを基調とした部屋になっている。
なぜか笹良が選んだ小さなソファと、たんすと棚は明日届く予定になっている。
「あの……」
「ん?」
一通り見終わった未空が、いまだに動揺しているのか揺れた瞳で海希を見る。
「ありがとう、ございます」
「……ああ」
素直に礼を言うのは未空に、海希は上機嫌で返事をする。
それから手に持っていた紙袋を手渡す。
「?」
「携帯」
「えっ」
「入用になるだろ。引越し祝いだ」
「でもっ」
「いいから。もうここまできたら何も気にするな。人の好意は素直に受けてた方がいいぞ」
渡された紙袋を抱きしめると、未空はもう一度感謝の言葉を呟く。
胸を支配していた不安がだんだんと薄れていくのがわかる。
優しさに痛んだ心も、今は温かさだけを感じている。
熱いものが胸にこみ上げてくるが、なんとか抑え、未空は微笑んでみせる。
その瞬間、押さえ切れなかったものが一筋未空の頬を伝う。 それが笹良の目に入ると前に海希の指が雫を優しく拭いあげる。
昨日よりも優しいその指に、たしかにこの家に人たちが己を受け入れてくれている事を感じる。
結局、あの沈黙が未空の本音だったのだ。
確かに未空はあの時、ここに来る事を願ったのだから。
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